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 2014年11月21日発売。2月1日の続編発売まではまだしばらくあるので、1章ずつ内容を点検してみようと思います。今回は、序章です。

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 何にまず驚いたかって、昨日の記事の疑問に対して、すでにここで答えが提示されていたからです。それは、演技直前にブライアンが羽生君に何を語りかけているのか?という点です。

 序章の羽生君とブライアンの対談の中で、羽生君はソチ五輪の演技直前の様子を、こう回想しています(28~29頁)。

  「試合までの日々で一番印象に残っているのは、ブライアンがリラックスしていたことです。本当はオリンピックになると絶対に僕も緊張するだろうし、ブライアンも緊張するのだろうと思っていたんです。でもブライアンは変わらなかった。だからこそ、ブライアンを信用しきって演技に出ていくことができたと思います。ブライアンが緊張したり、気合がいつもと違っていたりしたら、それは僕に伝わってしまいますから。会場で感じたのは『ああ、いつも通りだな』っていうこと。ブライアンには、すでに自分の生徒に金メダルを一度取らせているという安定感もあったし、とにかく心強かったです。自分の名前をコールされたら、いつも通りに握手して、しゃがんで手をダンダンってやって、出ていくだけ(笑)

 師弟関係にはいろんな形態や流儀がありますから、どれが正解だなんて私のような素人には言えません。ただ、「勝ちにいきなさい!」なんて言うまでもなく、すでに勝つための準備をしていて、普段通りやればいいということを、お互いが了解し、信頼しあっていたようですね。

 この対談は14年8月に行われたものですが、2年半経ったいまを予言しているとともに、ブライアンと羽生君の間での「全体の完成度か?ジャンプの難易度の追究か?」というテーマも含め、こんなに重要なことが語られていたのか!と、驚くばかりです。

 この本自体、私が最後に読んだのは昨年の5月ですが、無駄に雑誌を読みすぎたのか、最も重要な二人の肉声が記憶の彼方に埋もれてしまっていたことを恥ずかしく思います。

 さて、まずは、聞き手の野口美惠さんが、現役時代(1985年)のブライアンが4Tを跳んでいる映像を羽生君に見せて、二人に語ってもらう部分からです(41~44頁)。

 Y「いまの僕が試合でやるかどうかは別にして、4回転ルッツや4回転ループを練習しているのと同じ感覚ですよね

 B「私は男子フィギュアという競技をもっと進化させたくて4回転に挑戦していたんです。ただし、以前の採点方式はミスを大幅に減点するやり方だったので、難しいジャンプに挑戦しても、かえって点が低くなるリスクがありました。オリンピックで自分だけ4回転に挑戦したとしても、転倒したらもう優勝はありません」

 Y「いまの採点方式でも、ミスをなくすことは今後もっと大事になると思っています。・・・難しいジャンプを入れつつも完璧な演技をしなきゃいけない、という時代になると思うんです。そうなると、いかに僕自身が成長してノーミスの演技をできるようになっていくか、ということがこれからの4年にとって一番大事な目標になるのかな、と感じています」

 B「その通り。100%同意見だ」

 Y「・・・マイナスされる部分のない全体的な完成度が大事。そしてエレメンツのGOEでプラス2やプラス3をコンスタントに取っていくことが大事なのだと思います」

 B「まさにその通り。よくわかってるじゃないか。いまの採点方式を追求していくと、とにかくGOEでいかにプラスを稼ぐかが、最後は必ず勝利につながっていくんです。機械のように安定して、高い技術を披露することです。ユヅルがいま、4回転ループや4回転ルッツをモチベーションのために練習しているのはいいことですが、一番成長させるべき部分は、まだまだ他にあります

 4Loだけでなく、4Lzも14年の時点でクリケットで練習していて、ブライアンにやんわりと釘を刺されているこのくだりは、苦笑ですよね。羽生君もこの対談では「試合で入れたい」とは言ってないですが、実際に4Loを羽生君が試合で成功させたいまでも、ブライアンは全くブレてないのがよく分かります。

 ソチ五輪の前にまた戻ります。オリンピックシーズンの前に二人がどのような話し合いをしたかについて(19~20頁)。

 Y「ピーキングです。実は、僕はそれまでピーキングというものをしたことがなかったんです。・・・特にブライアンのところに来る前のシーズンは、オフシーズンに60回のアイスショーがあってショートとフリーを全力で演じていたので、夏の間にピークが終わっちゃってたんですよ」

 B「ユヅルはちょっと頑張りすぎるタイプなんです。ジャンプでも、もう1回、あと1回、というように一生懸命になる。ハビエルは『それをもう一度やって』と言わないとやらないのだけど、ユヅルには『もうやらなくていいから、まずは落ち着いて』と言わなくちゃいけないんです。私自身はユヅルのタイプでした。練習していると、がむしゃらに汗だくになるまで練習する。練習でも試合でも、いつも1位になりたい、いつでもみんなに注目されていたいと思っちゃう。でもそのやり方だと、実際の試合を迎えたときに、もう疲れ果てているんです。ユヅルにはそれを理解してもらおうとしました」

 ブライアンが現役時代は羽生君のようなタイプだったというのは、完全に私の記憶から抜けてましたね。「似ている」と思うから、前述の「完成度か?ジャンプか?」という部分で、「ユヅはわかってくれるはず!」とブライアンも説得を試みようとしたのかも。タイプの違う人に、そういう努力をしようという発想にならないですからね。

 そして、ハビがネタにされているのはもはやお約束ですが、そうなると、ブライアンとハビの対談はどんな感じになるのか・・・。「ユヅはマジメすぎる!」とハビは羽生君をいじるのか、ハビはブライアンにお説教されるのか・・・ここはお楽しみですね。

 ソチ前のエピソードをもう一つ。「文藝春秋」では、ソチで勝つ上でパトリックを研究したことが指摘されていました。本書を読んでみると、ちょっとニュアンスが違いますね(21~22頁)。

 Y「(13年の)初戦のスケートカナダは、パトリックのことで頭がいっぱいでした。『勝ちたい』という思いよりも、『追いつきたい』という思いのほうがまずは強かった感じです。グランプリシリーズの初戦だから、自分がどれだけパトリックに通用するかを確かめたかった。そんな考え方をした時点で、悪い結果になることは決まっていたのだと思います。自分の演技よりも、他人のことに集中してしまっていたから」

 B「そうそう。ユヅルはパトリックが何をしているかばかり気にしていましたね。トロントでの練習中も、グランプリの試合会場でも。まあ私もそうですが(笑)。やはり目標はパトリックをどう倒すか、どうやってパトリックの高いPCSと競うか、でしたから。でも焦ってはいませんでした。計画としては、シーズンを通してPCSを徐々に上げていき、オリンピックの頃にちょうど最高の状態にたどり着けばいいと考えていました」

 Y「11月のフランス杯の前に練習方法を変えたんです。それまでは、プログラムの練習では(1分程度に区切った)パート練習ばかり集中してやっていたんです。でもランスルー、つまり曲全部を通す練習にしました

 B「ランスルーの練習はとても意味があったと思います。ユヅルは4回転サルコウに重点を置きながら練習していたので、冒頭の4回転サルコウが成功するかどうかで、そのあとのプログラムへの気力が変わってしまっていました。・・・サルコウをミスしても、プログラムは最後まで集中して演じないといけない。・・・プログラムを滑りきるための力配分、いわゆるコンディショニングを身につけていったんです。トレーシー・ウィルソンも加わり、いろいろと練習方法を工夫していました

 B「毎日のように、私やトレーシー、ユヅルでアイデアを出し合って、練習の計画を立てました。ある日はフリーを2度、違う日はショートとフリーを1度ずつ、またはフリーを先にやってみようかとか、ランスルーは何回やるか、など、毎日の練習計画を違うものにすることで、気持ちがだらけずに、集中したまま1週間を切り抜けていく感じです。何となく同じような練習を繰り返しているうちにオリンピックが来てしまった、というのでは準備ができていないことになるので、ちゃんと予定を立て、この曜日は何をやる、そしてこの週は何をやる、というようにしたのです」

 4回転の転倒も想定した上で、メンタル・フィジカルともに折れることなく最後まで滑り切る準備をしていたことも、ソチの金メダルの要因ですね。

 最後に一つだけ(46~49頁)。本書を読まれた方は、このくだりを覚えていますか?

 Y「8年後、僕はまだ滑ることができると思いますか?」

 B「さらに4年ですか?すごいなあ!私が現役のときは3度目のオリンピックはできないと思ったけれど。でもユヅルは8年後もまだ27歳か。私は26歳で引退したので、そう考えると肉体的には無理ではないかもしれませんね」

 Y「でも僕はやりたくないです。8年後までは(笑)。この4年に集中して、そして終わらせると思います

 B「それでいいです。4年ずつ、いや1年ずつ進んでいきましょう。そして4年が終わったときに、また気持ちを聞きます」

 Y「4年後に引退したら、僕はまずはアイスショーに出ると思いますが、もちろんコーチにも興味があります

 B「それはいい。このトロントに来て、ここで私の後を継いでくれたらいいな。ユヅルとハビエルがこのクリケット・クラブを受け継いでくれれば完璧ですよ

 Y「もしコーチになるとしたら、まずはこのトロントでのサマーキャンプのような短期的なものかな、と思います。きっとアイスショーにも出るので、ひとりの選手を毎日のように見てあげられないと思いますから。でも、せっかくオリンピック・チャンピオンになったし、こうして素晴らしいコーチにも出会えたので、ここで学んだこととか、手に入れた考え方を、これからのフィギュアスケートを担っていく選手たちに少しでも伝えたいな、と

 B「私もコーチに専念したのは、ヨナが最初の生徒でしたから44歳になってからです。それまでは17年間もアイスショーに出ていて、コーチとしてはまだ8年です。だからユヅルもどんな仕事に就くかで焦る必要は、まだないでしょう」

 Y「でも引退した後は、ブライアンから吸収したことを、やっぱりいろんな人に伝えたいです。オリンピックで金メダルを獲るまでの葛藤も、獲った後のいまの葛藤もあって、そういった僕の気持ちをどうやってブライアンが消化していってくれたのか。自分の中ですごく覚えているし、大事なものになっています

 「『終わらせる』なんて言わないでくれ!」と、悲しい気持ちにさせてしまったらすみません。しかし、ブライアンも言うように、いきなりクリケットの専属コーチというのは、日本のスケ連が絶対に許さないでしょう(汗)。

yuzucoach

 キャリアの最終章は平昌か、北京か・・・。まぁ、そこはあまり考えずに、気合い入れて応援していきましょう。コーチになっても、こうやってプーを抱いているのかどうか・・・。明日の記事も、本書の続きを予定しています。
 
 では、また明日!

 Jun

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