16WCREQ

 本企画のバックナンバーは「こちら」。

 まずは、このボストン・ワールドのフリーに臨んだ際の状況を確認しておきます。『蒼い炎II』(268~270頁)から見てみましょう。

  「ショートでは、練習とは比較にならないくらい足を使ってたらしいんです。足がすごく痛くなって、腫れちゃって。ショートの次の日の練習で、もう3回転+3回転をやるのも痛かったので、トウループを跳ぶのはやめました。フリー当日の練習では痛み止めを飲んで、『4回転トウループは、痛いけど跳べる』と確認しました」

  「ずっとアドレナリンが出て興奮し続けてるような状態だったから、フリーの前の日も寝れなかったし、フリーの日も寝れなかったです。2日目から身体が動かなくてイライラしてたというのもあったし、興奮状態にあればあるほど身体って固まってくるから、なおさら身体が動かなくなったというのもあるのかなと思います

  「2番滑走だという時点で、『あ、僕、終わった』と思ってました。2番滑走、苦手でよかったためしがあまりないんです。たしかソチ五輪前の全日本選手権のショートが2番滑走で、この時はよかったんだけど、それ以外ではジュニア2年目(2009年)の全日本のショートとかも2番滑走で、ボロボロでした」

  「2番滑走ってまだうまくリズムが取りきれてないところがあるんですよね。その焦りとか不安要素がちょうどかみ合ってしまって、『ああ、これ、ミスるだろうな』と。でも、(ショートでいい演技が)できたからこその反動も大きかったです。もしショートがノーミスじゃなかったら、まったく気持ちが変わったかもしれないですよね。ノーミスだったからというのはあると思います

  「世界選手権はすごく難しかったです。ショートとフリーで気温が10度くらい違っていたからリンクの氷はたしかに溶けていたけど、それでも跳べる人は跳べる。どんな氷でも適応できるような身体の状態じゃなかった、精神状態もいつもと違っていた、そういうことです

 →→このときの発言では、「2番滑走が苦手」「氷が溶けていたけど、跳べる人は跳べる」という2点はよく知られていますよね。

 ただ、左足が悪いなか、ショートでノーミスができたので、「なぜフリーでもそれができなかったのか?」という後悔の念のようなものも滲み出ているように思われます。

 素人目線だと、「怪我してたんだし、しょうがないよ」となるんですが、そこは人一倍自分自身に厳しい彼ですから、許せないのでしょう。

 さて、このワールドのEXでの「天と地のレクイエム」については、「試合が終わったら1ヵ月(実際は2ヵ月)滑らない」と決めて滑った演技として、羽生君自身も「そういう決意もあって気持ちよく滑れた」と語っています。



  これが、「これから治療のため、お休みします」という人の演技に見えますか?

 私には信じられません。スピードと切れ味、各エレメンツのクオリティの驚異的な高さは言うまでもなく、なんというか、全身から発散される気迫と執念。すべてをやり切った後の表情を見ていて、こちらもこみあげてくるものがあります。そして、

  17-18シーズンのEX、これでよくない?

 という、もはや例の日経の記者の言いがかりなんてクソくらえとばかりに、こうなったら、前代未聞の「3プログラム同時再登板」でも、間違いなくパワーアップしたものになるのだから・・・と、勝手にワクワク&フィーバーしてしまっている自分がいます。

 さて、この「“最後の”レクイエムへの思い入れ」についても、私は覚えていました。ただ、以下の発言(274~276頁)は、まったく記憶から抜け落ちていました。

  「昔から振付けの意味というのを考えてはいたんですけど、でもその意味というものをあまり押しつける感じではなくなったなと思います

 どういうことなのか。その真意を、こう答えています。

  「『天と地のレクイエム』をやっていた時期もずっと思っていたんですけど、『これはこう見てほしい』というのが昔から自分にはすごくあったんですよ」

  「例えばバレエや狂言、能だったら、『この振付けにはこの意味』というものがあったり、『型』というもの全部に意味があるので、それを知っていればその通りに受け取ってもらえる

  「でもフィギュアスケートって、その『型』があまりない。それに僕らって360度見られるから、『どの方向から見たら自分が伝えたいことが伝わるかな』、『でもジャッジサイドだけに向ければいいわけでもないし』というのを考えながらやった結果、もう『みんな、自由に受け取って』(笑)と考えるようになった」

  「自分の中にはある程度、『こういう意味を持ってやる』という芯があるんですよ。だけどそれを見た人がどういう背景を見てどういう心境になるかというのは、人それぞれの経験から導かれるわけだから、それはそれだと認められるきっかけになりました

 →→羽生君の言わんとしている所を私流に解釈すると、「フィギュアスケートには『型』がないから、羽生君は当初、一つひとつの振付けに、『ここはこういう意味ですよ』『あそこはこういう意味ですよ』と、説明的に、しかも意図するものを納得してもらうように演じていた」。ところが、「『見た人たちそれぞれが、まずは楽しんでもらって、自由に解釈してくれればそれでいい』と、純粋に表現することに注力するようになった」ということでしょうか。

 さらに、こう続けています。

  「あと、振付け一つひとつに、より気持ちを入れるというか、細心の注意を払って動くようになりました」

  「ただ音に合わせるという感じじゃなくて、例えばメロディーラインに合わせるのか、それともちょっとずらしちゃうのかとか、そういうところまで深く考えるようになった。だから『バラード第1番』もより深いものになったと思いますし、『SEIMEI』にも『天と地のレクイエム』にもすごく活かせた

  「『SEIMEI』というプログラムをきっかけに、いろんなことを学んだり考えるようになりましたね

 →→上記の発言の中に「狂言や能」に触れた部分がありました。これはやはり、野村萬斎さんとの出会いも含めた「SEIMEI」を作り上げていくプロセスは、単に「SEIMEI」の中だけで完結した作業ではなく、「羽生結弦のフィギュアスケートにおける、振付けとはどうあるべきか?」という部分に、大きな影響を与えたと言えるのかもれません。

 もう一つ、印象的な発言があります。ご紹介しましょう。

  「最初に『天と地のレクイエム』を滑ったのはファンタジー・オン・アイスの金沢公演だったと思うんですけど、『あの時のレクイエムが苦しすぎてつらい』という声が多いんです」

  「実際、練習で泣いていたんです、苦しすぎて。あのプログラム自体、憑依されちゃう感じなんですよね。特にあの時は、完全に曲とリンクさせようとしていたから、あの曲を聞いた瞬間に震災の映像が思い浮かんで、あの時の苦しみを自分で表現するみたいな感じにしていたから、とても苦しかったですね」

  「でも世界選手権に向けて、『SEIMEI』の表現とかを考えるうちに、苦しみをあまりぶつけなくなったんです。もちろん『レクイエム』には苦しみの表現もあるんですけど、それを苦しいと受け取ってもらわなくてもいいやと、一歩引いて考えられるようになったのかな」

  「『自分の幸せって、スケートの中にある』とか『スケートしか幸せじゃない』というところまで考えていた時があったんです。1月初め、足は痛いし、身に覚えのない報道が出たりして人間不信みたいになっていたので、ショーで滑れることがすごく幸せだったんですね。スケートって自分の意志でできる。そこには誰も介入できないから。その時にいろいろ考えましたね。そうやって、すごく深い意味のあるプログラムに育ててもらったという感じもありますね、『天と地のレクイエム』には」

 →→「女性セブン」、おまえらのことだよ、このやろー!そして、だから注射を打ちながらもショーに出たのかぁ・・・と、ストンと納得した感じがします。

 この辺りの発言を見てみると、「SEIMEI」への思い入れは、和のプログラムだとか、ジャッジ受けがいいとか、演技しやすいという部分だけでなく、これを再登板されることは羽生君にとっての一種のセラピーというか、

  これから多くの苦難が待ち受けるからこそ、SEIMEIとともに戦いたい!

  そういう気持ちもあるのかもしれません。

 16年の全日本後、そこからワールドまでの試行錯誤や葛藤、その中心に「SEIMEI」は間違いなくありました。

 今だったら、もしかしたら羽生君もこういう話はしてくれないかもしれないので、このように掘り下げておいて良かったなと思っています。

 では、また明日!

 Jun

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村


フィギュアスケート ブログランキングへ