yuzu

 マイレピの「YUZU DAYS」が更新されました。バックナンバーは「こちら」。

 (1)一番最初に金メダルをかけた人は・・・

  「試合後は忙しくてなかなか時間がありませんでしたが、一番最初にメダルをかけたのは母でした。母は、そばにいてくれるだけで十分な存在です。今は拠点が海外なので、日本語を喋りながら家族の空気が味わえるのは、すごくありがたいです。自分一人では体調管理や栄養面、メンタル面も偏りがちになってしまうので、その部分でも母には感謝しています

 羽生君がお母さんとともにトロントに渡ったのが、2012年の春ですから、ちょうど6年になるでしょうか。彼の成し遂げた前人未到の偉業を考えれば、6年前にいまの姿を二人がイメージしていたのかどうか・・・。そう考えると、たった6年で人生が変わった・・・という意見もあるかもしれません。でも、あくまでもそれは結果であって、そこに至るまでに、たくさんの苦労を親子で共有して、二人で支えあってここまで日々歩んできたはずです。

 6年で成し遂げたことは、あまりに大きい・・・。だから、二人がいま仙台に戻ってゆっくり穏やかに生活できるのか?というと、それは非常に難しいでしょうね。ブラックジャーナリストやアンチが暗躍するのは火を見るより明らかです。じゃ、セキュリティ完璧な豪邸を仙台に建てる?・・・それもまたこのような連中にエサを与えることになりかねない。

 もちろん、こういうことは「羽生家」で決めることですが、羽生君はもちろんのこと、家族みんなが穏やかに平和に暮らすことのできる選択をしてほしいと願っています。

 (2)ファンの支えがあってこその金メダル

  「たくさんのメッセージをありがとうございました。このメッセージの一つひとつが、僕の背中を押してくれたなと本当に感じています。オリンピックは自分にとっても特別な舞台であり、この首にかかっているメダルも特別なものになりました」

  「自分ひとりでかけるのはとても重いメダルです。皆さんと共にこの重みを分かち合えたら嬉しいなと思います。本当に今回はありがとうございました」

 改めて、ふと思ったことがあります。羽生結弦というアスリートは、東北・仙台を愛し、寄付もたくさんしていますが、だからといって、その地域や人びとに依存したり特別扱いはしない、非常に独特な関わり方をする人だなということです。

 平昌五輪が終わって、メダリストたちが地元に帰り、地域の人たち(後援会?)に挨拶をする場面が、地上波の情報番組でも伝えられました。平昌五輪から帰国後、羽生君が個人で、一般のファンに感謝の挨拶をしていた場面を思い返してみると、CWW、凱旋パレード、これにANAも加わるぐらいでしょうか。動員力がケタ違いなので、例えば仙台市内にホールを借りても、混乱してしまうというのもあるのかもしれません。

 また、羽生君自身は、SNSやブログを一切やらない人ですが、ファンとの一切の交流を拒否して、ストイックに競技に打ち込む人ではない。今回のような、マイレピに寄せられた応援メッセージに対して、「メッセージに背中を押され」て金メダルを獲れたと。「メダルの喜びを分かち合いたい」とまで言っている。年会費を払っているようなファンクラブの会員からのメッセージでもないのに、これだけの感謝の意を示してくれている。

 今回の記事で写真が公開されていますが、ものすごく分厚い冊子になっていて、相当なボリュームになっていることでしょう。それを、リハビリ期間やオリンピック直前に読んで、心の支えにしてくれたのかもしれません。

 芸能人やアーティストのような人気者であっても、ファンとの間のこのような「絆」は、私はちょっと思い浮かびません。

 羽生君の場合、「スケートをすること」が彼の仕事であり、人生であり、使命であって、そこに命を懸けている。だから、応援してくれる人たちはみな平等。彼が「ファンを区別しない」というこのスタンスが、これだけの支持を集めている理由なんだと思います。

 一方、CDを何百枚もファンに買わせておきながら、ファンイベントを「体調不良」などと称して簡単にサボるアイドルにとって、「芸能活動」は仕事ではなく、金儲けのための手段にすぎない。ここが決定的に違うんです。

 私も読者の皆さまに支えられて、2年間ブログを続けてくることができました。少しでも羽生君のそんなスタンスを見習いたいなと、改めて思います。

 では、また明日!

 Jun

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