On the Back of the Flyer

TOEICテストメモ、羽生結弦選手、日々のアレコレを綴ります。

カテゴリ:羽生結弦選手 > SEIMEI 応援企画

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 本企画のバックナンバーは「こちら」。

 『蒼い炎II』とともに、この「SEIMEI振り返り企画」で役に立っているのが、「Ice Jewels」です。

 ブライアンの本や『蒼い炎II』を再読するのはなかなか大変ですが、もしオータムが始まる前にお時間があるようでしたら、ジュエルズの羽生君巻頭インタ(特に、Vol.01Vol.02Vol.03)を読んでおくと、15-16シーズン当時のバラ1およびSEIMEIに対する、羽生君の見解をすばやくチェックできるので、オススメです。

 世界選手権後におこなわれた、「Ice Jewels Vol.03」の羽生君のインタビューの後半「怒涛のシーズンを終えて」(24頁)の中で、「『SEIMEI』から学んだもの」というテーマでやり取りがされているので、ご紹介しましょう。

 ―― 今季、「SEIMEI」を演じてきて何を学びましたか?

  「表現ということに対して、今までは独学で追求してきました。たとえば、『ホワイトレジェンド』や、『オペラ座の怪人』をやるにあたって、所作や姿勢、手の使い方など、いろいろ参考にして学んできました」

  「『SEIMEI』では今まで以上に表現の深さ、表現というものの考え方を野村萬斎さんはじめ、話をさせていただいた方々のおかげで学びました。何かを見るときも、この人は何を表現したいのか、こういう世界ではどういう表現があるのかなど、すごく考えて演技を作りあげてきました」

  「『SEIMEI』は記録を作れたプログラムでもあり、いろいろな経験をさせていただいたプログラムであるとともに、表現というものに関して深く考えるきっかけを与えてくれたプログラムになりました

  「『バラード第一番』も初めていただいた時はプログラムとしてどう解釈していいのかわからず、作曲の背景、ショパンという方のいろいろな思い、曲に付随する物語もたくさんあって試行錯誤しました。しかし、まずは最初にこのプログラムの旋律で踊ろう、旋律の上にのって滑っていこうと思い、次に、自分からその音が出ているようにしようと考えてきました」

  「今回『SEIMEI』を与えていただいて、『バラード第一番』ではどういうものを表現すべきか、自分がどういうものを出せばいいのかと考えながら、最終的にここまで滑ることができました。だからどんなプログラムをいただき、どんなプログラムをやりたいと思っても、羽生結弦らしい、羽生結弦が表現した物語だったり、世界観だったり、(萬斎さんに感化されていますが)学んだ一つひとつの型を大切にできたらと思います」

  「『SEIMEI』からはたくさんのものを与えていただき、皆さんに記憶していただいた。そして歴史として記録できたプログラムでもあったけれども、それ以上に自分が進化するきっかけになったプログラムだと思います

 →→『蒼い炎II』では、レクイエムとの関係についてかなり踏み込んで語られていて、まぁ、「ジュエルズ」の方が先に出ていることもあり、こちらはまだ考えがまとまり切れていない印象です。

 ただ、「バラ1」の1シーズン目と2シーズン目を比較するにあたり、私自身、エレメンツばかり見ていて、表現の部分はほとんど注目していませんでした。羽生君本人が「SEIMEI以降でのバラ1の表現面の変化」に言及しているのは興味深いですね。

 今季のバラ1は、FaOIに限っても、幕張→神戸→新潟へと着実に進化していました。トロントに戻った後、再び、両プログラムを滑りこんでいく中で、SEIMEIの「表現面の進化」がどうなるのかも楽しみですね。

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 そして、昨日の記事をフォローする内容として、このジュエルズ3号には、レクイエムの作曲者・松尾泰伸さんのインタ(66頁)も収録されていたんですね・・・。私自身は、これ読んでないかもなあ・・・という感じでした。

  「(松尾さんは、2015年のFaOIに招待され、羽生選手と)一緒に写真を撮ることになったので話しかけたんですよ、『金沢での初演の後、疲れませんでしたか?』と」

  「すると、羽生選手から『そうなんです。もう自分を見失うっていうか、持っていかれそうになったんです』という返事があり、私は、『多分そうだったんじゃないかと思っていました』と答えました」

  「私も初演の時、もう弾いていられないくらいのダメージを受け、中間の一番激しい部分を弾いたときには想いが強すぎて中に入り込みすぎ、体に異常を来してしまったので、そのことをちょっと聞いてみたかったんです

  「あまり詳しくないので偉そうなことは言えないのですが、羽生選手の『天と地のレクイエム』を見せてもらったときに、これまでのものとはちょっと違うという感じをすごく受けたんです

  「というのも、数々のエンターテインメントのショーが続いた最後に羽生選手の演技を観て、観客の方々の中にはどう反応したらいいのかとまどわれた方がたくさんいらっしゃったと思うんです。それまでの2時間半の流れとは何かが違うぞ、と。多分、その中で涙される方もいらっしゃっただろうし、ぼうぜんとされた方もいらっしゃったと思う」

  「バレエなどの表現寄りの部分がグッと持ち上がり、羽生選手がそれを極めていくことで周りの人たちもそれにどんどん引き込まれていくのをすごく感じました。これまで築かれてきた、何十年も続いたジャンルを変えるっていうのはすごいエネルギーがいると思うんですよ。大きな力が必要になる。しかし、羽生選手の場合、多分選ばれた、それができるような人じゃないかと思うんです。それを一番大きく感じました

 →→「レクイエム」は、関西にも東北にも住んでいるわけではない私にとっても、やっぱり平常心では観られないプログラムという印象です。そして、また別の意味で、ボストンワールドのSEIMEIも「内心あまり観られない」演技ではありました。今季SEIMEIを再登板することにならなければ、つぎ観るのはいつになっていただろう?というほどです。

 ただ、羽生君自身が語るように、SEIMEIによって「表現に対する意識が変わったこと」と、それにより、レクイエムもバラ1も変わったこと、こういう話を聞くと、ファンとしては全てを見届け、共有しなきゃなと思うに至りました。

 ・・・・・・しかし、なんだかんだで、もう2週間を切りましたよ。新しい衣装も完成していることでしょう。プログラムも全体が出来上がっていることでしょう。

 シーズンがはじまったらはじまったで、余計な雑音に心惑わされることなく、目の前の演技をただ楽しむ!というマインドで、バラ1とSEIMEIを待ちたいと思います。

 では、また明日!

 Jun

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 本企画のバックナンバーは「こちら」。

 まずは、このボストン・ワールドのフリーに臨んだ際の状況を確認しておきます。『蒼い炎II』(268~270頁)から見てみましょう。

  「ショートでは、練習とは比較にならないくらい足を使ってたらしいんです。足がすごく痛くなって、腫れちゃって。ショートの次の日の練習で、もう3回転+3回転をやるのも痛かったので、トウループを跳ぶのはやめました。フリー当日の練習では痛み止めを飲んで、『4回転トウループは、痛いけど跳べる』と確認しました」

  「ずっとアドレナリンが出て興奮し続けてるような状態だったから、フリーの前の日も寝れなかったし、フリーの日も寝れなかったです。2日目から身体が動かなくてイライラしてたというのもあったし、興奮状態にあればあるほど身体って固まってくるから、なおさら身体が動かなくなったというのもあるのかなと思います

  「2番滑走だという時点で、『あ、僕、終わった』と思ってました。2番滑走、苦手でよかったためしがあまりないんです。たしかソチ五輪前の全日本選手権のショートが2番滑走で、この時はよかったんだけど、それ以外ではジュニア2年目(2009年)の全日本のショートとかも2番滑走で、ボロボロでした」

  「2番滑走ってまだうまくリズムが取りきれてないところがあるんですよね。その焦りとか不安要素がちょうどかみ合ってしまって、『ああ、これ、ミスるだろうな』と。でも、(ショートでいい演技が)できたからこその反動も大きかったです。もしショートがノーミスじゃなかったら、まったく気持ちが変わったかもしれないですよね。ノーミスだったからというのはあると思います

  「世界選手権はすごく難しかったです。ショートとフリーで気温が10度くらい違っていたからリンクの氷はたしかに溶けていたけど、それでも跳べる人は跳べる。どんな氷でも適応できるような身体の状態じゃなかった、精神状態もいつもと違っていた、そういうことです

 →→このときの発言では、「2番滑走が苦手」「氷が溶けていたけど、跳べる人は跳べる」という2点はよく知られていますよね。

 ただ、左足が悪いなか、ショートでノーミスができたので、「なぜフリーでもそれができなかったのか?」という後悔の念のようなものも滲み出ているように思われます。

 素人目線だと、「怪我してたんだし、しょうがないよ」となるんですが、そこは人一倍自分自身に厳しい彼ですから、許せないのでしょう。

 さて、このワールドのEXでの「天と地のレクイエム」については、「試合が終わったら1ヵ月(実際は2ヵ月)滑らない」と決めて滑った演技として、羽生君自身も「そういう決意もあって気持ちよく滑れた」と語っています。



  これが、「これから治療のため、お休みします」という人の演技に見えますか?

 私には信じられません。スピードと切れ味、各エレメンツのクオリティの驚異的な高さは言うまでもなく、なんというか、全身から発散される気迫と執念。すべてをやり切った後の表情を見ていて、こちらもこみあげてくるものがあります。そして、

  17-18シーズンのEX、これでよくない?

 という、もはや例の日経の記者の言いがかりなんてクソくらえとばかりに、こうなったら、前代未聞の「3プログラム同時再登板」でも、間違いなくパワーアップしたものになるのだから・・・と、勝手にワクワク&フィーバーしてしまっている自分がいます。

 さて、この「“最後の”レクイエムへの思い入れ」についても、私は覚えていました。ただ、以下の発言(274~276頁)は、まったく記憶から抜け落ちていました。

  「昔から振付けの意味というのを考えてはいたんですけど、でもその意味というものをあまり押しつける感じではなくなったなと思います

 どういうことなのか。その真意を、こう答えています。

  「『天と地のレクイエム』をやっていた時期もずっと思っていたんですけど、『これはこう見てほしい』というのが昔から自分にはすごくあったんですよ」

  「例えばバレエや狂言、能だったら、『この振付けにはこの意味』というものがあったり、『型』というもの全部に意味があるので、それを知っていればその通りに受け取ってもらえる

  「でもフィギュアスケートって、その『型』があまりない。それに僕らって360度見られるから、『どの方向から見たら自分が伝えたいことが伝わるかな』、『でもジャッジサイドだけに向ければいいわけでもないし』というのを考えながらやった結果、もう『みんな、自由に受け取って』(笑)と考えるようになった」

  「自分の中にはある程度、『こういう意味を持ってやる』という芯があるんですよ。だけどそれを見た人がどういう背景を見てどういう心境になるかというのは、人それぞれの経験から導かれるわけだから、それはそれだと認められるきっかけになりました

 →→羽生君の言わんとしている所を私流に解釈すると、「フィギュアスケートには『型』がないから、羽生君は当初、一つひとつの振付けに、『ここはこういう意味ですよ』『あそこはこういう意味ですよ』と、説明的に、しかも意図するものを納得してもらうように演じていた」。ところが、「『見た人たちそれぞれが、まずは楽しんでもらって、自由に解釈してくれればそれでいい』と、純粋に表現することに注力するようになった」ということでしょうか。

 さらに、こう続けています。

  「あと、振付け一つひとつに、より気持ちを入れるというか、細心の注意を払って動くようになりました」

  「ただ音に合わせるという感じじゃなくて、例えばメロディーラインに合わせるのか、それともちょっとずらしちゃうのかとか、そういうところまで深く考えるようになった。だから『バラード第1番』もより深いものになったと思いますし、『SEIMEI』にも『天と地のレクイエム』にもすごく活かせた

  「『SEIMEI』というプログラムをきっかけに、いろんなことを学んだり考えるようになりましたね

 →→上記の発言の中に「狂言や能」に触れた部分がありました。これはやはり、野村萬斎さんとの出会いも含めた「SEIMEI」を作り上げていくプロセスは、単に「SEIMEI」の中だけで完結した作業ではなく、「羽生結弦のフィギュアスケートにおける、振付けとはどうあるべきか?」という部分に、大きな影響を与えたと言えるのかもれません。

 もう一つ、印象的な発言があります。ご紹介しましょう。

  「最初に『天と地のレクイエム』を滑ったのはファンタジー・オン・アイスの金沢公演だったと思うんですけど、『あの時のレクイエムが苦しすぎてつらい』という声が多いんです」

  「実際、練習で泣いていたんです、苦しすぎて。あのプログラム自体、憑依されちゃう感じなんですよね。特にあの時は、完全に曲とリンクさせようとしていたから、あの曲を聞いた瞬間に震災の映像が思い浮かんで、あの時の苦しみを自分で表現するみたいな感じにしていたから、とても苦しかったですね」

  「でも世界選手権に向けて、『SEIMEI』の表現とかを考えるうちに、苦しみをあまりぶつけなくなったんです。もちろん『レクイエム』には苦しみの表現もあるんですけど、それを苦しいと受け取ってもらわなくてもいいやと、一歩引いて考えられるようになったのかな」

  「『自分の幸せって、スケートの中にある』とか『スケートしか幸せじゃない』というところまで考えていた時があったんです。1月初め、足は痛いし、身に覚えのない報道が出たりして人間不信みたいになっていたので、ショーで滑れることがすごく幸せだったんですね。スケートって自分の意志でできる。そこには誰も介入できないから。その時にいろいろ考えましたね。そうやって、すごく深い意味のあるプログラムに育ててもらったという感じもありますね、『天と地のレクイエム』には」

 →→「女性セブン」、おまえらのことだよ、このやろー!そして、だから注射を打ちながらもショーに出たのかぁ・・・と、ストンと納得した感じがします。

 この辺りの発言を見てみると、「SEIMEI」への思い入れは、和のプログラムだとか、ジャッジ受けがいいとか、演技しやすいという部分だけでなく、これを再登板されることは羽生君にとっての一種のセラピーというか、

  これから多くの苦難が待ち受けるからこそ、SEIMEIとともに戦いたい!

  そういう気持ちもあるのかもしれません。

 16年の全日本後、そこからワールドまでの試行錯誤や葛藤、その中心に「SEIMEI」は間違いなくありました。

 今だったら、もしかしたら羽生君もこういう話はしてくれないかもしれないので、このように掘り下げておいて良かったなと思っています。

 では、また明日!

 Jun

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 さて、この16年ボストン開催の世界選手権が、現時点でのSEIMEIの「直近の演技」になるわけですけども、まぁ、まずは見ましょうか。



 プロトコル関係は「こちら」で。あえてフジテレビのものを拾いました。解説は本田武史さん、実況は中村光宏アナだと思います。ちょっと音声が小さくてすみません。

 前回の記事で「この試合を見るのは気が重い・・・」なんて書きましたが、いま改めて映像を見ると、たしかにミスはあるんですけど、よくやりきったなぁ・・・というのが、実は率直な感想です。

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 4Sでお手付き。4Tはなんとかこらえて着氷。後半のクワドは、(おそらく怪我のことを知らない実況が言うような)構成を上げることが理由ではなく、左足甲への負担を考えて4Sに変更したものの、転倒で2ndジャンプがつけられず「リピート」のペナルティ。その直後、3Aに3Tをつけて成功していて、ここは全日本よりも良かった部分です。で、3Aからの3連コンボはなんとか認定はされているんですが、踏ん張りが効かないようで、スコアが伸びませんね。

 リンクには例の水たまりもあるんですが、ジャンプのミスに直接影響を与えてはいないのかな?という気もします。

 演技直後、大ちゃんもコメントしていますね。

  「最初からちょっと力が入っているのかなという印象を受けたので、それが最後まで続いたのかなという所は感じましたかね。ただ、これで、羽生選手ももう次に向かっていると思うので、最高の演技を目指して、また来年強くなるんじゃないかと

 下の画像の通り、本人は超悔しがっているわけですが、なかなか、イイこと言ってくれてますよ。実際、一年後のこの舞台で、ホプレガで世界記録を出しましたからね。大ちゃん、あなたは預言者ですか?一年前のこの金言を覚えてますか?と(笑)。
 
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 演技直後はこうなんですが、この動画の後半では、「ハビのインタ→ゆづのインタ」とあって、羽生君自身の表情はもうスッキリしている感じです。特に印象的だったのは、前半のこの部分。

  「正直言って、いまはもう、『終わっちゃったなぁ』という感じで、あんまり振り返られてはいないですけど、ただ、必死で、必死でフリーに向けてはやれたかなと思います

 とくに全日本以降、悪化の一途を辿っていた左足の怪我を抱えながら、それでも四大陸の辞退を除けば、ほぼフル稼働で戦い抜いたわけですから、その一連の事情を承知の上でこのインタを聞くと、「必死で、必死で」という言葉は、胸にジーンと来るものがあります。

 では、また明日!

 Jun

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16mori

 本企画のバックナンバーは「こちら」で。

 さて、全日本からワールドまでの間、羽生君はどう過ごしていたのか。『300点伝説』は、この期間の羽生君のケガの状態に関する言及が無いので、有益な情報はゼロ。『王者のメソッド』は、15年GPFまでの本なので、こちらも使えません。

 すると、まずは、『蒼い炎II』ということになります。「バラ1応援企画(14)(15)」でも、「全日本の後、どう過ごしていたのか」という部分を同書から拾いましたが、以下に簡単にまとめておきます。

 まず、全日本が終わったのが2015年12月27日(羽生君の演技は、25・26日)。28日に恒例の「メダリスト・オン・アイス」へ。



 全日本後に10日休んで、「NHK杯フィギュアスペシャルエキシビション(in 盛岡)」(1月9日、2公演)に出て、「ニューイヤーオンアイス(in 大阪)」(1月16日・17日)にも出演(大阪では「The Final Time Traveler」を演じています。動画はデイリーで「こちら」)。

 正直言うと、五輪シーズンでもないんだから、「全日本から全部休んで、ワールドに集中で良かったのに!」と、ついこの間まで思っていました。

 ただ、いま記事を書きながら上記の「アイスショー」のリンクを貼っていると、NHKのスペシャルショーも「東日本大震災5年 明日へ支えあおう」という主旨で盛岡開催ですから、これ、休めるわけないかぁ・・・と。

 たしかに、羽生君が出ると出ないとでは、今年のFaOIでも明らかなように、アイスショーへの注目度もチケットの売れ行きもはっきり違いますし、現在は、この秋のNHK杯のチケットの話題もTwitter上で見かけますね。

 ただ、あくまでも私見ですけども、羽生君に限らず、やっぱり怪我を隠してまで強行出場することを、私は望みません。

 話を戻して、1月中旬の大阪のショーの前には、「病院にも行ってステロイド注射を打ってもらったが、動けないくらい痛く、歩けない状態」。大阪では「トウループを絶対にやらない」という方針で乗り切ります。やはり「Traveler」の演技でも転倒がありました。

 大阪のショーの後、本来は1月末にトロントに戻るつもりが、あまりに足の状態が悪く、経過観察のために日本に滞在して、休んだり練習を再開したり、また休んだりを繰り返します。結局、トロントには2月末に戻ることに。それで、約一カ月の準備期間で、痛みは引かないながらも、ワールドに向けてジャンプの調整を行っていきました。以上が、大体の流れです。

 そして、「Ice Jewels Vol.03」(19~20頁)の中でも、この時期を羽生君は回想しています。

  「・・・かなり痛くて、全日本の前は練習できなかった日もありました。現地(札幌)に入って、治療にも専念しましたが、なかなか改善しきれませんでした。四大陸選手権の出場を辞退したのだから、その間にしっかり治したかったのですが……

 ―― 結果論ですが、全日本の後にスケートを休んでいれば、世界選手権優勝のチャンスも広がったかもしれませんね?

  「休めば治るというものではないですが、体のメンテナンスをやりつつ、4回転トウループを跳ばない期間が必要でした。しかし、メンテナンスをしっかりできなかった。痛みだけでなく、痛みの原因を取り除かなければいけなかったのですが、痛みをとるために何をしなければいけないのか、うまく対処しきれていなかったという気がします

 ―― 世界選手権前のカナダ・トロントでの練習は、足の痛みのために2日やって1日休むというスケジュールだったと聞いています。

  「この方法がベストだと思いました。氷上でやるべきこともたくさんありますが、陸上でしかできないこともあると思います。それを休んでいる間にこなそうと。僕は陸上でしかできないことも大切だと考えています。ジャンプに関しても、スケートに関しても、スピンに関しても、フォームや考え方も大事だと思います。それらの分析をオフの間に行います。それは、自分自身で考えてやります」

  「これが今はものすごく大事で、いろいろなことをノートにとっていますが、やはり分析をした後が一番、調子が良い。だから僕にとっては、その過程が大切だと考えています。それで、2日練習して1日休む、3日練習し1日休むという1週間のスケジュールを守っていましたが、これによってメリハリをつけやすくなりました」

  「また、試合の前には必ず移動があります。国内の試合でも移動のために練習を1日休まないといけません。しかし毎日、毎日、練習をやっていると、休んだ後の対処ができないのです。これまでずっとこのような方法でやってきて、今回のボストンも(移動日の次の)初日の練習はたいへん調子がよかったので、あのまま調子は上がる予定でした。本当は、たぶん上がっていたんです。でも、上がりきらなかった」

 実は、『蒼い炎II』には四大陸の話はまったく出てなくて、このジュエルズを再読して、よく考えたら毎年開催される大会だったわ・・・と冬季アジア大会とごっちゃになっていました。ちなみに、この大会は台湾開催で、男子シングルの日本代表選手として、宇野君、無良君、刑事君が出場しています。

 さて、いまから気が重いですが、次回はワールドのSEIMEIを見ることにしましょう。

 では、また明日!

 Jun

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 前回の15年GPFから10日ほど空きましたが、「SEIMEI振り返り」の続きです。本企画のバックナンバーは「こちら」で。

 今回は15年の全日本選手権でのSEIMEIですが、「たぶんミスはあったんだろうけど、具体的にどこだったっけ?」という予備知識だけで動画を探し始めました。

 するとYouTubeには、この15年全日本の動画はバラ1しかなくて、デイリーでやっと見つけました。画質は悪いですが、「解説:本田武史さん、実況:西岡孝洋アナ」のフジの放送なので、まずはご覧ください。

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 プロトコル関係は「こちら」から。さて、みなさん、覚えてましたか?

 冒頭のクワド2本は、ともにGOE満点をもらいながら、後半いきなり崩れました。何にビックリしたかというと、3Aの回転不足と転倒ですよね。

 さて、『300点伝説』(141~142頁)でのブライアンのコメントを見てみましょう。

  「ユヅルはいくつかミスをして286.36点でした。優勝は優勝でしたが、ファンやメディアは『2週間前にあれほどすごかったのに、なぜミスをしたのか』といった雰囲気になり、私にもそういった質問が繰り返されました。しかし正直に言って、私はユヅルがミスをしてよかったと思っていたので、『これでいいのです』とだけ答えました」

  「全日本選手権でも300点超えのスコアを出していたら、日本のファンは嬉しかったかもしれません。しかし、11月のNHK杯から翌年3月の世界選手権まで5ヵ月間もピークを保ち続けるのでしょうか?それともシーズン中のすべての試合に調子のピークをピタリと合わせるのでしょうか?そんなことをできる選手がいるかどうか、私には疑問です

 あの温厚なブライアンが若干キレ気味です。ただ、まぁ、言ってることは分かるけどさぁ・・・そもそもピーキング以前に、左足の状態が相当悪かったのでは?と、『蒼い炎II』(262頁)の方もチェックしてみます。

  「左足の怪我は、最初は痛みというよりも違和感でした(スケートカナダを目前に控えた2015年10月末)。トウループを跳ぶと痺れていて。でも、1~2本跳ぶと痺れるけど、そのあと跳んだら痛くない。ある程度ケアはしてもらっていたし、動けば治るから、それほど重要視してなかったんです。でも、どんどんダメージが増していって。NHK杯の時にはすでにちょっと痛くて、ファイナルの時には1~2本だけではなく3~4本跳んでも痛みがなくならないようになっていました。全日本への移動日の前日、練習を始めて5分で、痛くてリンクから上がりました。今だから言えるけど、その時は深刻でした。会場入りしても痛くて、トウループも跳んでいたけど、アクセルの調子が一番悪くて、全日本の時は全部ぐちゃぐちゃでしたね

 というわけで、こっちも読まないと真実に近づけないのです。

 そうか・・・3Aにミスが出るようだと怪我を隠しているのだな・・・と、今季はこんなことにならないように、健康第一で頑張っていただきたいと思います。

 次回記事では、全日本からワールドにかけての状況を詳しくフォローしていきます。

 では、また明日!

 Jun

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