On the Back of the Flyer

TOEICテストメモ、羽生結弦選手、日々のアレコレを綴ります。

タグ:14ソチ五輪

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 今日も「拍手コメント」で励ましの言葉をいただきました。ありがとうございます!ウチのようなマニアックなブログに、例のあーいうコメントというのも、せいぜい月に1つか2つのはずですから、皆さまに気持ちよくブログを楽しんでいただけるよう、うまく管理・対処していきたいと思います。

 さて、FaOI神戸のBS朝日の放送も見まして、新刊雑誌も一冊購入したのですが、先にソチ五輪の方を済ませておきます。

 というわけで、フリーのロミジュリです。再読企画の過去の記事は「こちら」。プロトコル関係は「こちら」で。

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 上が福岡のGPFで、下がソチのフリーです。冒頭の4Sの転倒はファイナルですら発生していたので、見ている立場としては、それはある意味で想定内としても、他の部分でのミスが目立ちましたね。

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 前半の3Fは、シーズン中にエッジエラーこそよく取られていたものの、転倒は珍しい。後半の3Aも、2本目はかなり踏ん張っていたので、加点が0.29と渋いです。3連続ジャンプの最後の3Sが、映像でも分かりますが、1Loからちょっと空いたので、認定されていません。キスクラでは、「これは、負けたな・・・」という表情です。

 前半の4Sや3Fの転倒は、大会が終わってからも、よく映像で流されていましたが、実は後半部分の取りこぼしがシーズン中の他の試合とはっきり違う点で、そこに、団体戦からの疲労や五輪特有の影響が出ていたのかもしれません。でも、よくやってくれました。

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 それでは、ブライアンの見解を見ておきましょう(197~198頁)。

  「ユヅルが4回転サルコウで転倒したのはショッキングでした。ソチ入りしてからずっと調子が良かったのに転倒したのです。続く4回転トウループは成功しましたが、3回転フリップでもミスが出たので、さすがに心配になりました。演技が終わり、複雑な気持ちでした。ユヅルも私も、得点が発表されたときはがっかりしました。おそらく銀メダルだと思うと、ユヅルが気の毒でした」

  「本当はショートの前に完全オフをもっと取らせたかったのですが、さまざまな相談のうえ、軽く練習をしていました。団体戦で調子が良かったので、完全なオフを取って調子に変化が現れることを、ユヅルは避けようとしていました。彼の頑張りすぎてしまう部分です。しかし身体の疲れよりも気持ちが重要な時期であり、ユヅルの判断はベターだったのかもしれません。それに、疲れていたのはユヅルだけではなく、男子の誰もがミスばかりで、むしろユヅルのミスは比較的少ないほうでした

  「結果論なので何とも言えません。でも私の意見としては、団体戦と個人種目の間に、しっかりとしたオフを取っていれば、疲れは抜けたと思います。ユヅルの体調やピーキングのことは2年間で把握していました。だから次のオリンピックは、ユヅルが何と言おうと休ませるつもりです。すべてのことを『いつも通り』にするべきオリンピックで、普段よりも休みを取れなかったのですから」

  「もし次のオリンピックの現場で結論に迷うことが起きたら、もっとユヅルと議論を交わさなければなりません。そのために私もコーチングの理論をもっと確立して、『絶対にこうである』と強く選手を牽引できるようにならなければいけない。団体戦というイレギュラー要素があったとはいえ、私はコーチとして反省点を抱えました。私自身がとても学ぶことの多いオリンピックでした

 →→この「反省点」は残されたままでしょうか?・・・いや、ヘルシンキ・ワールドでの羽生君のフリーは、皆さんもご存じの通り、ブライアンの指示通りに「練習を抑えた」ことで、実現したといってもいいと思います。

 もちろん世界選手権と五輪とでは日程は違ってくる部分はあるでしょう。しかし、このソチからたくさんの経験を積み重ねてきました。SP・フリーの二本を揃えたバルセロナGPFもあれば、ボストン・ワールドのようにSPの大量リードを守れなかったケース、あるいは、昨季(4CC、ワールド)のように、ミスの出たSPからフリーで追い上げる展開も経験もしました。そして、17-18シーズンの前半戦も待っています。すべての経験を力にして、堂々と、自信を持って戦ってもらいたいです。

 最後に、ソチの夜とバンクーバーのそれとを比較した、余韻の残る記述をご紹介しましょう(201~202頁)。

  「おかしな夜でした。オリンピック・チャンピオンのコーチだというのに、ユヅルはそのまま記者会見やドーピング検査があって深夜まで解放されなかったので、私は彼に会えなかったのです。私はハビエルやスペインチームの監督と、お酒を一滴も飲まずにその夜を過ごしました。みんながっかりして、悲しい夜でした」

  「ヨナがバンクーバーで金メダルを獲ったときは、宿泊先の部屋でシャンパンの乾杯をし、それぞれがスピーチをして、互いに感謝を伝え合い、ヨナは泣いていました。感動的な夜でした。でもソチのスケジュールは全体的に遅かったので、そんな祝勝会は不可能だったのです」

  「ユヅルとやっと会えたのは、翌日です。関係者でビールをあけてユヅルの勝利について語り合い、ユヅルの両親から感謝の言葉をかけられました。メダルの授与式は、コーチさえ関係者エリアに入れなかったので、観客に紛れて見学しました。そしてメダルを手元に見ずにトロントに戻りました。その数日後、ユヅルは日本に帰国後すぐにトロントに戻ってきて、メダルを見せてくれました。みんなの首に金メダルをかけて、ハグをして、それはチーム・ブライアンのみんなに対してのハグでした」

  「もっともっと笑顔のある祝勝会は、次のオリンピックのためにとっておきます。今度は盛大にやりますよ。ユヅルも成人になるのでお酒を一緒に飲めますしね。何よりもユヅルには、もっと感動的なオリンピックを経験させてあげたいと、心から願っています

  あの日本スケ連のことなので、ソチの「前例主義」で、羽生君に対して、ヨナのように別のホテルに泊まれるような許可は出さない予感がします。きっと「シャンパンでの乾杯」も難しいでしょう。

 「酒」といえば、GPシリーズやワールドのバンケだと、周りは未成年だらけですから、そもそもこれまで、羽生君がアルコールを嗜んでいる様子を私は見たことも聞いたこともありませんでした。五輪連覇の祝勝会であっても、お酒は飲まないような気がしますね。トロントでお母さんと二人で生活しているというのも大きいと思いますが、たとえ、プロ転向後であっても、羽生君がアルコールを飲む姿が私にはちょっとイメージできません。

 では、また明日!

 Jun

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 まず、拍手コメントでの励ましのお言葉をありがとうございます!そもそもブログというものを開設した当初から、さまざまなご意見があることは承知していて、それにしても、こんなわずか1年ほどの弱小ブログでも荒らしや煽りのコメントが来るとは、感慨深いです。

 今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。



 さて、ソチ個人戦のSPです。再読企画の過去記事は「こちら」。ソチのプロトコル関係は「こちら」で。

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 上のプロトコルが団体戦SP、下が個人戦SPです。動画を見ていると、ブライアンは、ルーティンをこなしながらスタートポジションに向かう羽生君を見つめて、2度うなずいていますね。

 なぜ、団体戦のSPと比べて、個人戦SPの3Aが減点されているのか(2.57→2.14)、私にはまったく理解できません。でも、団体戦の4Tと個人戦の4Tの違いも(2.14→2.86)、私にはよく分からないので、良しとしましょう。

 むしろ、3Lz+3T(0.70→1.50)は、団体戦に限らずこれまで着氷時の姿勢で「上半身が沈み込むように」なっていた所を、このSPでは余裕を持った美しい姿勢で降りているので、この加点は納得感があります。はっきり良いですね。そして、ステップがレベル4に、そして、この頃はジャッジが匿名化されていましたが、PCSに10.00を付けている人が現れているように、PCS自体も伸びています。

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 空席がけっこうあるんですよねぇ。信じられません。なぜかロシアとウクライナの国旗も振られています。実は、羽生君の次の滑走者がハビだったので、ブライアンとはここでハグしてお別れ。キスクラの映像はご存じ、小林強化部長のあの仰天顔が捉えられています。

 ちなみに、SPの滑走順ですが、羽生君は最終の一つ前のグループで、その第一滑走(19番)。次の20番がハビでした。ブライアンによると(192~193頁)、「ハビはかなり緊張していた」とのことで、しっかり付きっきりでケアできなかった点を後悔していますね。特に、ハビのシューズの状態が悪く、補強方法についてブライアンの指示通りに対処できていなかったようです。

 羽生君の101.45というスコアを見て、チーム・ジャパンのメンバーはビックリしていたようですが、ブライアン自身は「まったく驚かなかった」とのこと。

 『王者のメソッド』を見てみると、野口さんもこの滑走順について言及していますね(196頁)。

  「金メダルを狙うなら、ショートも最終グループに入りたいのが本音だ。もちろん相対的に点をつけるわけではないが、ラスト12人のうちの第1滑走者にどこまで高得点を出すのかは、不明瞭だった。しかしその早い滑走順は、無駄な緊張を省くことになる。6分間練習後では最初のスケーターとなる。身体がよく温まった状態のまま、リラックスした表情で『パリの散歩道』を滑り始めた」

 いやいや、まったく同感です。特に、ここ最近の事例でも、ヘルシンキ・ワールドの女子シングルのSPを見ていて、特に舞依ちゃんと新葉ちゃんは第5グループに放り込まれたわけで(最終は第7G)、「せめて第6Gだったら・・・」という感想を持った方は、私だけではないはずです。まぁ、しかし、平昌で羽生君が最終Gから漏れることは(願望込みですが)無い気がします。

 ちなみに、ヘルシンキでの羽生君はSP・フリーともにいずれも最終Gの第一滑走だったことを考えると、けっこうな修羅場で第一滑走を経験しているわけですね・・・。

 『蒼い炎II』から、SP直後の羽生君のコメントを紹介しましょう(129~130頁)。

  「3桁の点数が出たことは嬉しかったです。100点超えをできるとは思っていなかったので、五輪という素晴らしい舞台で100点を超える演技ができたということを本当に嬉しく思います。足がすごく震えていました(笑)。団体戦の時とは比べものにならないくらい緊張していました

  「とにかく前向きな気持ちというのを大事にして、そういう方向に自分の心を傾けようとすごく意識しました。それは全日本選手権でもそうでしたし、グランプリファイナルの時もそうでした。今日は前向きにできたと思います」

  「五輪が終わるまでずっと気が張っていると思いますし、問題はないと思っています。そこをコントロールするためにも、心と体が一体になるというか、そういうものがすごく重要になってくると思っています。まだピークとは言えないですけど、結構いいところまで行っていると思うので、そこを持ち上げたいですね」

 上位3人の、羽生君、Pさん、ハビは午前0時頃まで記者会見に出席し、しかも、団体戦が組み込まれた影響で休養日が無くなり、SPとフリーは2日連続の日程になりました。このタフな戦いが、平昌五輪でも待っているわけですね。

 では、また明日!

 Jun

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 前回から少し空きましたが、この再読企画もついにソチ五輪まで来ました。過去の記事については「こちら」をどうぞ。プロトコル関係は「こちら」へ。

 団体戦のSPの動画を見ていたら、日本チームの隣がアメリカチームで、チャーリーとアシュリーが拍手でゆづの登場を迎えていました。演技直後、ブライアンと握手を交わしていた男性は竹内さんですね。先日発売されたextraの国別号でインタビューが掲載されていました。

 ノーミスの演技で97.98。団体戦男子シングルSPではもちろん一位。チームに貢献しました(チームの最終順位は5位)。よほどのことが無い限り、平昌の男子シングルは羽生君と宇野君になるでしょうが、どちらがSPでどちらがフリーか、楽しみですね。

 羽生君の出来はよかったですけど、団体戦のスケジュールについてブライアンは苦言を呈しています(190頁)。

  「本当ならば、団体戦は個人種目の後のほうがいいでしょう。重要な個人種目のわずか7日前に行われる団体戦男子ショートへ臨むのは、どうピーキングを持っていくべきか見極めが難しい。しかも団体戦の最後までスタジアムでチームメイトの応援をしなければならず、エネルギーを消耗します」

  「まずは普通の試合のショートのように臨み、その後2日間はチームの応援をし、1日休む。気持ちを切り替え、別の試合として個人戦に向けて集中する。そんなプランです」

  「団体戦に出る唯一のメリットは、他の選手よりもメインリンクで多く滑れることでした。試合の雰囲気をつかむことができます。パトリックやジェレミーも団体戦で滑るので、ユヅルだけのメリットではありませんが」

 そっかぁ・・・と今さら気づいたのですが、団体戦は自分の種目を終えればお役御免ではありません。タイムスケジュールを見ると、羽生君が出場した男子SP(2月6日)は、団体戦初日の最初の種目で、その後、2月7日の休養日を経て、8日と9日にチームの応援をしていたようです。

 国別のように、シーズン最後の「お祭り」のような試合ならいざしらず、その後に、4年に1度の重要な試合が控えています。

 そして、国別を現地観戦したからこそ、ふと「疑問」に思ったのは、私が見に行った3日目は、羽生君がボックスにいる時間ってけっこう少なかったんですよね。

 ソチの団体戦の応援って、正直あまり覚えていないんですが、五輪だし、そんなに取材陣も入ってこれないはずだから、ちゃんと着席して応援してなきゃいけない気が・・・。

 他書(『蒼い炎II』128頁)から、羽生君のこの時の発言を拾ってみます。

  「すごく気持ちよかったです。まだ(五輪が)終わったわけではないですし、基本的にはガッツポーズしないタイプなんですけど、日本のためにと思ったので(ガッツポーズしました)。僕だけのスケートじゃないので、本当に緊張しましたし、日本のために全力を尽くせてよかったです

  「最初の公式練習の時、まったく身体が動かなくて、『これが五輪なんだな』と思いました。ただ滑っているうちに、日に日に『普通の試合だな』と思いましたし、実際に全力で最後まで滑ることができたので、非常にいい感覚で個人戦までいけるなと思います」

  「個人戦の前にショートを滑ったことはプラスですね。他の選手との比較というより、今の自分がどうかというのが自分でわかったことがプラスかなと。個人戦まで1週間あることも僕にとってはプラスです。いいオフになるかなと思いますし、別の試合として考えられると思っています」

 「応援」の件は語られていないですが、現地の氷に慣れることができたことを、かなり肯定的に捉えていますね。よくよく考えてみると、今年の四大陸選手権が「プレ五輪」的に位置づけられていましたが、SPとフリーの2本のみだったこの四大陸選手権よりも、平昌五輪ではより長期に渡って現地の氷に慣れることができるし、試合でもう一本余分に滑るチャンスもある。団体戦に「懐疑的」だったブライアンも、いまは考え方が多少変わっているかもしれません。この辺り、新シーズンに向けて、また記者の方に質問してもらいたいですね。

 『王者のメソッド』の方では、団体戦後、羽生君は取材にこう答えています(193~194頁)。

  「(メディアから『自信があったか』と尋ねられて)自信があるないは重要ではない。自信なんて言ってると、試合前に急に不安になった時に何も出来なくなる。ただ全力を出すと考えれば良い」

  「(7日後の個人戦について聞かれると)1月にインターハイから国体が続く時みたいに、別の試合が近い日程にあるだけだと思えばいいと思います」

 いま改めてこれを読んでいたら、けっこうピリピリしてるなぁ・・・と感じました。記者に応えるというより、自分自身に言い聞かせているような印象です。来年の五輪本番では、ライバル国のジャーナリストから意地悪な質問も飛んでくるはずで、そこはブライアンも想定していると思いますが、少し心配です。

 ソチは記事一本で終えるつもりが、妙な所が気になって長くなってしまいました。まぁ、ゆっくりやりますので、お付き合いください。

 では、また明日!

 Jun

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2017-05-14-16-08-40

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 今日は、羽生君とチーム・ブライアンが、さいたまの全日本選手権からソチ五輪まで具体的に何をしていたのか。その部分を、本書から引いてみようと思います。

 それは、全日本選手権の試合後、大会最終日の深夜からすでに始まっていました(185~187頁)。

  「試合後はすでに深夜でしたが、日本スケート連盟といろいろな打ち合わせをしました。橋本聖子会長にも『パトリック・チャンに勝てるのは世界でユヅルだけだ。ユヅルのために、これとこれは準備してくれ』と、チーム・ブライアンの希望を伝えました。オリンピックの会場に入るコーチIDをトレーナーの菊地さんにも発行すること、練習後にくつろげる部屋や食事に対する配慮、通訳の手配などです。オリンピックという特殊な環境で、どんなことが1日24時間に起きるかを想定し、ユヅルが最高のパフォーマンスを発揮できる環境を整えたのです。全部の要望は通りませんでしたが、折衝をしました」

 はやくこの人、会長辞めてくんねーかなと思いつつ、でも、いまは荒川さんが副会長ですから、リクエストは通りやすくなるんじゃないか?という気がします。

 どういう要望が通らなかったか、さすがに、具体的にどれとどれ、という書き方はされていませんが、バンクーバーでのヨナの状況と比較して語られているので、ある程度想像できます。

  「ヨナのときは韓国のトップ選手がヨナひとりでしたので、ヨナを特別扱いしてもらうことは簡単でした。選手村に宿泊せず特別なホテルを準備してもらい、欲しいだけの関係者パスを発行してもらえました。しかし日本にはメダル候補がたくさんいたので、多少の譲歩をしたうえで『そのかわり現地で何かあれば柔軟に対応してほしい』と念押ししました。ユヅルが直接言うとワガママに聞こえますから、チーム・ブライアンの希望として強く連盟に主張しました。その後、私はカナダへと戻りました

 全日本の後、羽生君は仙台に戻ってそのまま年を越します。年明けにトロントに戻り、羽生君、ハビ、ブライアン、トレーシーで「最後の作戦会議」をしたそうです。オリンピックとはどういうものなのか、二人の経験を伝え、このように声をかけたそうです(187頁)。

  「私たちはチームだ。試合ではスペインと日本のユニフォームを着て、2人のそばにいる。滑走順次第では2人の演技が近くなることもあるが、必ず本番の瞬間はリンクサイドにいる。そして2人を心から誇りに思う。あとはオリンピックを楽しむことを忘れないように」

 ブライアンは本書の中で、「このとき、ああチーム・ブライアンは男の子が2人いてよかったな、とつくづく思いました。ヨナのときとは違う雰囲気です」と語っています。

 平昌ではどうなるのでしょうね。17-18シーズンのGPシリーズのアサインも発表され、これにより、ジュンファン君も平昌五輪には出場するでしょう。コーチも、ジスラン・ブリアントさんもいないと、ケアが行き届かないんじゃないか?という気がします。女子シングルも、ツルシンちゃんやデールマンもいるし、かなりの大所帯になるでしょうね。

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 ソチに着いてからも、見ておきましょう(188~189頁)。シングルのみの出場のハビよりも一足早く、羽生君とブライアンは2月4日に現地入り。トロントからミュンヘンを経由し、ブライアンはミュンヘンで日本代表の制服に着替えたという話です。ちなみに、ハビは開会式でスペイン選手団の旗手を務めたそうです。

 現地入り後のブライアンの配慮も細かいです。「ハビエルは、ユヅルよりもちょっとばかりメンタルの世話が必要」ということで、ブライアンはスペインの選手村の方に宿泊。

 開会式は、日本とスペイン、どちらに参加しても不公平になるとブライアンは考えて、当初は選手村のテレビで見る予定だったとか。しかし、羽生君が団体戦出場のために開会式を欠席したため、スペイン選手団と一緒に出たそうです。

 ちなみに、ブライアンはカルガリー五輪で旗手を務めていますが、「長時間待たされて疲れました。(直後に試合がある選手には集中の妨げになり・・・)ユヅルの欠席は賢明な判断でした」と語っています。

 4年前の五輪で、しかも、結果も知っているのに、上のソチ入りの画像を貼って、ブライアンの「回想」をPCで打ち込みながら、はやくも妙な緊張感におそわれている自分がいます。

 平昌五輪が来てほしいような、来てほしくないような・・・。それは結果がどうあれ、羽生君の引退の時期が近づくことも意味していますから、こんなことを考えてはいけない!と分かってはいても、ちょっと複雑な気持ちになりますね。

 では、また明日!

 Jun

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 まずは、二日前のWFS50の記事に拍手コメントをいただきました。とても励みになっています。有難うございます!羽生君の発言のない記事で、しかも私の個人的好みでジョニーのインタビューを長く引用したものになりましたが、評価いただけてとても嬉しかったです。

 さて本題へ。今日の雑誌は、2014年4月18日発行(3月5日発売)。「フィギュアスケートファン通信」よりも歴史のある、写真中心のフィギュアスケート専門誌です。ウチにも10冊以上あるぐらいなので、皆さんもたくさん所有されているのではないでしょうか。

 ふと思い立って、アマゾンで「フィギュアスケート日本男子応援ブック」で検索をかけてみると、驚くべきことに、全てのバックナンバーの表紙が羽生君であることに気がつきました。それをいったら、ジュエルズもライフも通信もそうなんですけど、いかにも日本男子選手みんなを平等に応援していますよ!というような雑誌名ながら、実際の中身はゆづ推しという所も含めて、実は「通信」は「応援ブック」の二番煎じといえるでしょうね。

 実を言うと、羽生君の写っているページを全て撮影したら、30枚を超えてしまい、これはやり過ぎだと思って、少し減らしました。全84頁のうち、60頁前後が羽生君関連で、その多くがデカい写真と思っていただいて結構です。あと、写真に光がかなり入ってしまっていてすみません。都内の異常高温の影響です(笑)。以後、改善致します。

 写真の並びは、大体画像の順の通り、ソチの表彰式→エキシビション→SP→FS→公式練習→団体戦となっています。公式練習と団体戦の写真はサイズがやや小さめだったので外しました。

 『蒼い炎II』を読んだ直後というのもありますが、本誌はアフロの報道写真のみで構成されているとはいえ、やはり大きな写真はいいですね。

 羽生君の細かな表情もそうですが、全身から放たれる躍動感が違います。「応援ブック」はソチ直前に創刊されたこともあり、13-14、14-15、15-16シーズンに限ると、写真目的ならば「応援ブック」のバックナンバーを揃えるのも有効かもしれません。

 「通信」も似た感じではあるので、それぞれの長所・短所をはっきり言うのは難しく、結局値段と相談ということでしょうか。いずれ「応援ブック」と「通信」の比較記事をまとめてみたいと思います。

 ちなみに、わざわざ拡大画像も貼りましたが、佐野稔先生の若かりし頃の勇姿も拝めて、これはなかなかレアです。TVの解説だけを聞いていると中年親父の居酒屋談義にしか思えないんですが、まぎれもなく日本男子フィギュアスケートの黎明期を支えた先駆者ですね。

 では、また明日!

 Jun

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