都築先生インタ(2018.3.6)

都築先生インタ(2018.3.6)

羽生結弦を育てたコーチが語る『一流になれる選手となれない選手』の違い」(サンクチュアリ出版 WEB MAGAZINE)

昨年3月に行われたインタビューとのことですが、私は今日初めて読みました。フィギュアスケート関連の実績のない媒体によるものですが、かなりしっかりとした作りになっています。都築先生の発言の中で、印象に残った部分をピックアップしてみます。

羽生がよく言うんです。自分が失敗したのは「練習が足りなかったからだ」と。単純な答えで、まったくその通りだと思います。でも、人間というのは、なかなかそういう気持ちにはなりませんよね。そこも、彼のすごいところだと思います。

「よく言う」ということは、羽生君は最近もこのように都築先生を前に発言しているのでしょうが、「練習量が足りない」ではなく「練習が足りない」と言ってるのが、ポイントですよね。「努力は嘘をつく。でも無駄にはならない」とカトパン相手に語っていたこともありましたが、平昌五輪前の「試行錯誤」により、さらに練習の質が洗練されていったと思います。まだまだ羽生君には当時の状況を詳しく語ってもらいたいですが、今季再び故障してしまったこともあり、新たな発言の機会はしばらく先になりそうです。

東日本大震災は彼にとっても大きなショックだったと思います。スケートを続けていけるのかもわからなかった。そんな中、ここで練習させてほしいという連絡が私の方に届きました。私はただ、あの子自身がスケートを続ける意思を高められるような環境づくりをしただけです。週末はエキシビションに出場していたので、そこで世界のスケーターとの交流がありました。その中で様々な技術を学び、新たな羽生が生まれていったような気がします。人間の生と死に関わる体験をして、あの子にとってはショックだったことでしょう。ですが、あの数カ月の経験が羽生結弦という人間の幅を広くし、より強くなったと思います。

2011年の夏、羽生君が多くのアイスショーに出演したのは、皆さんご存知のように、「練習場所の確保の問題」という必要に迫られてのものでした。ただ、「練習を真剣勝負の場」で行えたことと、都築先生のおっしゃっている「世界のスケーターとの交流」によって、さらに強い選手になったわけです。

ふと思ったのは、昨年の夏、FaOIに限っても皆勤賞だった紀平さん。もちろん出演の経緯・背景は違いますが、あそこでハードワークしたことが、今季の一皮むけた彼女を生み出したと言ってもいいかもしれません。

そして、気になるのは、やっぱりこの一節です。

羽生にも言ったことがあるんです。「一人のインストラクターになるのではなく、フィギュアスケートの将来を発展的に考えられる人間になりなさい」と。羽生の他に、これほどフィギュアスケートと向き合ってきた人間はいません。私たちがやる以上に、もっとレベルが高いものができると思っています。羽生には、そんな人間になってほしいですね。

特に、平昌五輪後のインタで、似たような主旨の先生の発言を目にしたことはあります。ところが、「フィギュアスケートの将来を発展的に考えられる人間」というのは、具体的に何かというと、なかなかイメージするのが難しい。コーチや振付師でなければ、ブライアンやプルさんのようにクラブチームを作るのか?あるいは、基金のようなものを作るのか?政治家になって、東北にリンクを増やすのか?

どれも可能性としてはありそうで、でもどうもしっくり来ない。そもそもその前に、プロスケーターとしてのキャリアが待っています。ただ、プロ転向とともにマネジメントの形態等、何らかの変化があるかもしれません。

まぁ、堅実で勤勉な彼のことなんで、プロスケーターとしてのキャリアと並行して、ジャッジやコーチングに関する資格取得のための勉強にも取り組みつつ、慎重に決断するはずでしょう。いつまでも応援したいですね。

では、また明日!

Jun

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コメント

  1. ごろ寝 より:

    「優れた師弟」と言っても、個人の資質によるのですよね。同じ師の下で学んでも凡人で終わる人が圧倒的に多い。余談ながら、折りにつけ、恩師の墓参りをする知人がいます。「師と対話し、今の自分を客観視」できるのだとか。

    年月を重ねても、人を敬い、師を持ち、教えを実践できる人を心から尊敬します。羽生さんは、これまでの数倍の時間を生きていく人。「人生」と言えるのはこれからの年月でしょう。感性も体力も、頭脳も鋭敏な時に経験されたことを活かしていくに違いないと信じます。

    都築コーチや奈々美コーチ、トロントのコーチや敬愛するスケーターの方々・・・学んだものは無尽でしょう。
    コーチングなど直接指導はなくとも、多角的なアプローチでスケート界のために尽力される気がします。生きて見届けたいものです。

    • Jun より:

      ごろ寝さま

      おっしゃるように、羽生君は、五輪連覇を果たすまでの年月よりも、これからの人生の方が何倍も長いわけですよね。

      そう考えると、彼ほど「生きいそいでいる人間」が果たしているのだろうか?と、ちょっと目眩がしてきます。とはいえ、いまの立場上、やりたくてもできないことはたくさんあるはずで、それが何なのか?を、今後の彼の動向から読み取って、応援していきたいですね。

  2. ととちゃん より:

    このインタビュー自体を知りませんでした。ご紹介ありがとうございます!

    都築先生自身がパイオニア精神溢れる先駆者だったんですね。
    一見無駄なことが結果に繋がった、といった経験からくる実例は、羽生選手が今後指導にあたることがあれば とても参考になるのではないでしょうか。

    引退後は まずはCwWなどでプロスケーターとして活躍するのでしょうが、何かのインタで プル、ランビ、ジョニー等と教室を開きたいという発言もありました。なんであれ、
    私もずっと応援していきたいです。

    • Jun より:

      ととちゃん さま

      人間、なるべく無駄なことをしたくないと思うのは人情ですよね。

      でも、他人から「最善の方法」を教わったとして、それをすべてコピーしようとすると、実は苦痛で挫折しがちです。
      その「最善の方法」の中で、何が自分にとって大切なのか、何が自分に向いているかを探るような、「回り道」をしないと、実力として身についてこない。
      都築先生のおっしゃっている「無駄なこと」というのは、そういうプロセスをも指しているのかなと感じました。

      フィギュアスケートの「ワークショップ」のような活動のために、ブライアンやブリちゃんが世界中を飛び回って行っているので、それは羽生君も考えているでしょうね。コーチ業に深く関わるようになるかどうかは別にして、彼がまずはそのような活動に参加する可能性はとても高いと思います。

  3. sennin より:

    私もこの記事は知らなかったです。昨日は都築先生のbirthdayだったようでお祝いの本日の記事かと理解しました。最近の4Aの身体や気持ちのあり方などの記事も学ばせて貰いましたが、都築先生が話すことはまず教え子へのリスペクトと将来のことについてまるで家族のように温かくて嬉しいですね。
    結弦君はいつも試合後練習したい、練習が足りないと言ってましたね。オリンピックで初めて幸せと肯定する言葉を聞きました。シニアに上がった頃奈々美先生が滑りの感情面をとても重要と考えていたから学ぼうと努力したといってましたが、本人の向上心が各コーチから吸収して来たんですね?言われたことだけをした選手では魅力もないですね。CwWでの都築先生は教え子二人がいて本当に嬉しそうだったと聞きました。
    結弦君の将来も考えてくれてるみたいですが具体的にどんなことをして欲しいのかなあ?TVの仕事はしないといってましたね。Junさんの仰るようなジャッジなど頭もいいし日本ではなく世界の仕事をして欲しいですね。でもそれより現役を少しでも続けて欲しいと今はそれを願ってます。

    結弦君にとって日本でのスケート関係者で唯一寄り添ってくれる都築先生にはこれからも元気で活躍していただきたいと思いました。

    • Jun より:

      senninさま

      先日ご紹介した川畑さんの記事と繋がりますが、こういう指導者に教わったら、彼女の受け答えもしっかりしたものになるはずだ!と納得ですよね。

      まぁ、TVの仕事は間違いなくしないでしょう。あれだけ適正のあるように見えた織田君でさえ、監督業の方を中心に据えているのですから、詳しい事情も伝え聞いているはずです。ひとまず、プロスケーターとしての活動と、指導現場に近いところで修行を積むという選択が濃厚と見ています。テレビの方は、稔先生やあるいは無良兄貴に任せれば安泰じゃないでしょうか。

  4. Fakefur より:

    良い記事をご紹介くださりありがとうございます。

    佐野先生が「継続できる子どもだったのが私にとって幸運でした」という都築先生の指導キャリアの長さに目眩がいたします。個人的には都築先生がスケートを始めたきっかけや現役時代も知りたくなりました。

    フィギュアスケートは幼い頃からのコーチの指導と家族のサポートなくては成功できないスポーツなので、周りにいた大人たちの人となりが選手本人の人間性に大きく影響することが、本当によく分かります。

    東日本の選手たちは練習環境が十分でない中、創意工夫を凝らして、鍛錬されています。羽生選手や荒川さんの成功、遡れば本田さんや岳斗さんも東北出身なので、環境だけでない要因もあるのでしょうね。

    将来、羽生選手がどのような進路を取られても、どのような形でフィギュアに関わるにせよ、全力で応援していきます。

    • Jun より:

      Fakefurさま

      都築先生は愛知県出身で、高校1年の時にスケートを開始(1950年代)。山田満知子先生と同世代で、指導は小塚さんの祖父の光彦氏から受けていたとのこと。進学先の日大では、スピードスケート、アイスホッケーの他に、フィギュアスケート部門を立ち上げたばかりだったので(だから進学を勧められたそうです)、進学してまもなく選手兼・指導者として活躍されています。この辺りは、「フィギュアスケートLife Vol.5」の「コーチの肖像」で先生ご本人が語っていらっしゃいます。

      都築先生の現役時代については、宇都宮直子さんのコラムや著書が詳しいです。著書の『羽生結弦が生まれるまで』や、そのベースになっているコラムが「Sportiva 羽生結弦 未来を創る人」に掲載されています。

      • Fakefur より:

        都築先生の指導者以前の歴史をご紹介いただき、ありがとうございます。
        スケートを始められたのが高校一年とは意外でした。
        あの時代のソ連にコーチ修行に行かれたり、日本のスケート黎明期にこのような方々が強い意志を持って、道なき道を開拓していなかったら、今の日本のフィギュアの成功はなかったわけで、羽生選手がContinues with wingsで伝えたかった想いをより強く深く感じました。

        • Jun より:

          Fakefurさま

          おっしゃる通り、冷戦時代のソ連にカメラを抱えて調査に行かれていたので、いまでは想像できないご苦労をたくさんされていたと思います。そして、ジャッジに関しても、「ヨーロッパの壁」というものが厳然としてあった時代でした。当時の様子は、都築コーチの他に、佐藤信夫コーチ、山田満知子コーチも語ってくださっていますね。

          当時に比べれば、いまのロシアのジュニア女子が4回転がどーのなんて話は、スケールが小さいですよね。はるかに距離は縮まっているし、勝つための環境も揃っている。日本選手には発奮を期待したいです。