土曜日にTLに流れてきたんですが、7分弱の動画です。ぜひご覧ください。
アイスリンク仙台なので、「蒼い炎」の羽生さんの看板が何度も映っているんですが、羽生さんの名前は一切出てきません。ナレーションでの言及も無く、奈々美先生も触れていません。もしかすると、この動画のスポンサーの「三井不動産レジデンシャル」との契約の問題があるのかもしれないですが、私には分かりません。
しかし、奈々美先生の教えは、すべて羽生さんに受け継がれているなぁとしみじみ感じます。
フィギュアスケートという競技は、一人ひとりが自分の個性を出して、音楽とともに氷の上をかけめぐります。例えば、一つの舞台だったり、映画だったり、そういったものの「主役になる」ではないですけど、その個性を理解して指導していけるように常に心がけています。
いろんなスポーツがそうだと思うんですけど、人と争ったりとか、勝ち負けというものがどうしても付いてくるものなので、まずは、戦うのは、自分自身。自分のために一生懸命練習を積んで、それがまわりの人のためになったり、悔しい思いをするけれども、それに負けない強さというのを、スケートをやることによって、鍛え上げていけるんじゃないかなと思います。
わずか7分の映像ですが、アイリンでたくさんの子どもたちが滑っている様子を見て、「そりゃ、羽生さんが日中に貸し切りで練習するわけがないよな・・・」と感じました。彼の性格からして、子どもたちや一般のお客さんからスケートを楽しむ時間や場所を奪いたくないという気持ちもあったのかもしれません。
この動画を見た後に、マガジンの吉田年伸さんのインタビューを読みましたが、「(昨年)9月に1度練習を見た」という話は、貴重な証言ですよね。そして、エッジシャープナーの立場から、羽生さんのスケートの進化をはっきりと述べていました。フィギュアのシューズ職人さんの取材記というのは、わりとよく見かけるようになりましたが、もしかすると、吉田さんは、マガジン以外の取材は受けていないかもしれないですね。
しばらくは、マガジンと惑星ハニューのご紹介が続くと思います。新刊雑誌の発売は下旬ですので、ゆっくりお付き合いください。
では、また明日!
Jun
コメント
こんにちは 更新ありがとうございます
背中で表現する「天と地と」の衣装は「仙台笹」ではないかということですが、仙台笹のルーツは「上杉笹」さらにそのルーツは勧修寺流の「竹に雀」だと思います。
勧修寺流の遠祖は藤原北家(不比等の次男房前)勧修寺流藤原盛憲次男・重房は丹波国何鹿郡上杉庄を領して上杉重房となり、鎌倉6代将軍・宗尊親王と共に関東の鎌倉へ下ることになる。この重房が室町時代に関東管領・守護大名などを輩出する上杉氏の祖である。
室町幕府をおこした足利尊氏の生母清子が上杉頼重の娘、祖父足利貞氏の母が上杉重房の娘。
戦国時代は上杉家は内部分裂や支族同士の争いで勢力が低下。
それなら支族、縁戚から出来のいい青年を養子にしたらよいだろうということで上杉定実(娘しかいない)が伊達実元を養子に、とその際に上杉家家紋を贈り、それが「仙台笹」
結局伊達氏の内紛でこの話は成功せず、上杉憲政が守護代の長尾家から養子にしたのが長尾景虎、上杉輝虎と名を変えて出家して法号謙信となりました。上杉謙信となり「上杉笹」使用。
尾張の織田家や三河の徳川家とは比較にならない一段上の家柄です。
なんといっても上杉謙信は小競り合いも含めれば七十回以上の合戦に参加、そのうち負けたのは二回だけ。
初陣は15歳で勝利してます。
羽生さんはもちろんそのことご存知だと思いますよ。
みつばちさま
歴史に関する深いご見識にビックリです。上杉家と伊達家の縁について、ご教示いただきありがとうございます。
今週の大河の「麒麟」の方でチラっと上杉の話が出ていましたが、当然ながらキャスティングされているわけがなく、松永が全て持っていってました(笑)。ただでさえコロナ仕様で端折っているので、まぁ、仕方ないですね。