今日も『レンズ越しの羽生結弦』のレビューにお付き合いください。この第4章は「覚悟」と題されて、いよいよ2018年2月開催の平昌オリンピックの取材です。
羽生さんが韓国に到着したのは2月11日でしたが、この時、小海途良幹カメラマンは他の競技の取材のため、例の「空港囲み取材」の場に居合わせてはいません。翌12日、地下のサブリンクでの公式練習から羽生さんの姿を撮ることになります。
平昌に来てから始めて羽生さんを撮った一枚が、彼が笑顔でリンクインする瞬間です。スポニチさんの写真が見つからず、他社の写真ですが「こちら」をご紹介しておきます。ちなみに、『Dancin’ on The Edge – 平昌フィギュア報道写真集-』にはしっかり収録されています。
「羽生健在をファンや読者に届けたい」という思いで、あえてジャンプの写真は選ばなかったと小海途さんは語っていますね。練習でジャンプを何本跳んだかどうかは、読者も速報テキストを読めばわかるわけですから。
そして、怪我のブランクを感じさせない、会心かつ完璧な出来の「バラ1」を披露した翌日の一面は「このショット」でした。
「フィギュアスケートの写真といえば、演技をしたり、ジャンプをしているシーンであって、演技の前後や、ふとした瞬間に見せる表情をとらえた写真は、少なくともスポーツ報道の写真としては受け入れられませんでした。だけど僕は、垣間見えた表情にこそ、写真だから表現できる羽生選手の心情があると思っています。それを会社が受け入れてくれるようになっていきました。長久保さんのおかげもありますし、従来の考えから柔軟に対応してくれるようになったデスクもそうですし、僕の写真でスポニチの紙面を差別化していこうと、『写真と原稿は別物でいい』と理解してくれたペン記者の人たちもそうです。少しずつ変わってきて、五輪本番で使う写真にも変化が生じたのだと思います」
もちろん「動画」でもその表情は確認できるんですが、写真だからこそこの安堵の表情が鮮明に記憶に残りますし、あれから7年経ったいま改めてこの写真を見てみても、当時の羽生さんがトロントで孤独にリハビリを続けていたであろう光景まで脳内でイメージできてしまいます。すばらしい一枚だと思いますね。
そして、もう一枚は当然、五輪連覇が決まった翌朝の1面、「羽生が伝説になった」という見出しとともに展開されたあの写真ですよね。「こちらのブログのエントリー」もお借りしました。
「羽生選手の表情は、僕が予想していたものをはるかに超えてきました。僕にとっては初めてオリンピックの金メダリストになる選手の演技を撮影した機会となったのですが、これが連覇を達成したアスリートが見せる顔、そして光景なんだ、と。羽生選手が向けた表情と眼差し、歓喜に沸く会場の雰囲気に圧倒されながらも、僕は夢中でシャッターを連写しました。シャッターを押しながら、気持ちが高まっているのがわかりました。自分で『落ち着け、落ち着け』と言い聞かせていたのですが、僕自身も感情を抑え込むことができなかったですね。あとから見返したら、本当に一瞬の出来事なんです。だけど、僕にはまるで時が止まったような感覚でした」
「正面から撮影された羽生選手の『SEIMEI』はもちろん、僕が撮ったものとは違って、最高の演技が伝わる写真もあったはずです。だけど、僕は、羽生結弦という時代の寵児が連覇の偉業を達成したとき、このすごさを後世にまで伝える写真が撮りたかった。国際映像を見返しても、このアングルの羽生選手は写っていません。これは、僕の自慢ではなく、いかに羽生選手が特別な選手かということを強調したいエピソードです。カメラマンが勝手に”心中”を決めて構えていた場所で、こちらの想像を超えた表情を撮らせてしまうアスリートなんですよね。それが羽生選手なんです。非現実的なものを見せられた感覚になりました」
その「心中」を決めるにいたったフォトポジションついて、小海途さんは16年ボストンの世界選手権(バラ1)から着想を得たと語っています。「僕が過去の羽生選手の演技を振り返ったなかでは、このシーンに最も羽生選手の感情が出ていたと思いました」。9時の方向(ジャッジ側を12時とする)から撮影されたロイター配信の一枚は、羽生さんが正面を向いてバラ1をフィニッシュした後、直後に9時の方向へ滑りだして、雄叫びを上げて闘争心を全面に出した表情を捉えていたそうです。
「感情が爆発した無意識の状態のとき、人はまた同じような動きをするのではないか?」という仮説のもと、「平昌五輪ではSPの段階から”予行演習”も兼ねて9時のポジションに陣取った」と小海途さんは説明しています。「羽生は必ず勝つ!」と信じて。
ボストンワールドの「事前研究」に基づき、平昌五輪では世紀の一枚が撮れたという「裏話」の部分が、本書を読んでいて個人的に最も興奮した部分でした。そして、五輪連覇の偉業を達成した羽生さんが翌日の記者会見で4A挑戦を表明し、小海途さんも「独自の表現」をさらに追求することを心に誓ったのです。
では、また明日!
Jun