宇都宮直子著『スケートは人生だ!』(1)

宇都宮直子著『スケートは人生だ!』(1)

2019年4月24日発売。税込み価格「1,728円」。

本書は、「SPUR」と(2016年4月号~2019年3月号)と、「オール讀物」(2018年5月号)に掲載された宇都宮さんのエッセイをまとめたものです。私が所有している「SPUR」は2017年1・3・7月号の計3号のみで、彼女は「Sportiva」にも連載を持っているので、内容のかぶりはもちろんあるのですが、興味深い内容がいくつもありました。

今日は本書の前半部分から、印象的だった記述を取り上げますが、あまりポジティブな話ではありません。佐藤信夫コーチと伊藤みどりさんが、現役時代に「海外勢の壁」に阻まれていた頃のお話が中心です。

佐藤信夫は、日本フィギュアスケートの開拓者のひとりである。・・・佐藤は、日本人で初めて三回転ジャンプを跳んだ。1960年から66年までの間に、二回のオリンピック、六回の世界選手権に出場した。・・・(65年世界選手権の)コロラドスプリングスの四位は、結果だけを見れば快挙だ。間違いない。だが、それには大いに問題があった。

大会後に、「佐藤が銅メダルを取るべきだった」という声が上がったのである。同じ意見は大会関係者からだけではなく、表彰台に上った選手からも聞かれた。それでも、佐藤は四位にしかなれなかった。なぜか。そういう時代であったからである。フィギュアスケートは、ヨーロッパ発祥のスポーツだ。貴族たちの「冬のダンス」から始まった。彼らは長く、それを自分たちのものにしていた。フィギュアスケートを、気取ったダンスのままにしておきたかった。だから、彼らは認めなかった。日本の選手を競技者ではなく、客人のように扱った。

参加したいのでしたら、どうぞ。でも、表彰台には上れません。あなたがたは上手に踊れませんもの。たとえば、こんな具合にだ。とても馬鹿げた優越意識だと思う。あるいは慇懃無礼と言おうか。

・・・先人の取り組みには、ほんとうに頭が下がる。彼らは情熱のかたまりだった。その礎があってこそ、日本はフィギュアスケート大国になれたのです。

『スケートは人生だ!』70~72頁。

このエッセイは2016年12月に発表されたものです。某選手の採点の問題が周知される前の文章ではありますが、「フィギュアスケート大国」に日本がなれた結果がこの状況というのは、嘆かわしい限りです。

佐藤コーチの現役時代からルールもずいぶん変更されましたが、その背景は違えど、この競技の「忖度文化」が不変なのは、結局ジャッジの既得権益を守ったままでルール変更が繰り返されてきたからと言わなければなりません。

AI導入に対しては頑強に抵抗するはずで、そんな中、ルール変更を経ずとも手っ取り早くマシな採点に近づけるためには、「ジャッジのプロ化」ですよね。不可解な採点をした者には、即刻クビも含めた、厳しいペナルティを貸す。「ボランティアで引き受けている」ということを隠れ蓑にしての、やりたい放題の野放し状態からは脱却できるんじゃないかと。

伊藤は、常に闘っていた。選手は皆、そうだが、当時は今とは異なっていた。闘うものが、すごく多かった。競技が持っていた差別的な視線とか。完璧なジャンプへの挑戦とか。カタリナ・ヴィットの芸術性とか。ヴィットはサラエボ、カルガリーとオリンピック連覇を成し遂げた。彼女も、紛れもなく天才だった。とても美しい人だった。彼女を、伊藤の言葉で表せばこうだ。「ヴィット選手は、まるで女王のように優雅で、気品があった。美しさという面では、いくら頑張っても世界で勝てないという思いはありました」。

・・・だいぶ経ってから、伊藤にインタビューしたとき、彼女は言った。「私は、フィギュアスケートを芸術から競技に変えました。ジャッジが、『あの演技をされたら仕方がない。点数を出さざるを得ない』という演技を目指しました。ジャンプの質とか、高さとか。そうしたところでは、世界中の誰にも負けなかったと思っています」。

こうした姿勢こと、気品だと思う。それはまた、日本フィギュアスケートの根幹にある、誇りでもある。伊藤の限界への挑戦は、現在へと繋がる潮流にもなった。ヴィットの時代、女子には難しい技は「できない」と考えられていた。でも、伊藤にはそれが「できた」。古くさい概念を覆してみせた。そして、そこから高難度のジャンプ習得は必須になっていった。潮目は、たしかに変わった。その後も、より強くなるために、日本は挑戦を続けた。だから、世界有数のフィギュアスケート大国になった。

『スケートは人生だ!』96~98頁。

こちらは、2017年4月発表のエッセイです。ヴィットは旧東ドイツ出身の選手で、サラエボ五輪(84年)とカルガリー五輪(88年)は東西冷戦の時代のオリンピックでした。その後、東西問わずドイツから優秀なスケーターが出てきていないことを鑑みると、日本もいつ「冬の時代」が来てもおかしくないなと、不安な気持ちがよぎりましたね。

そういえば、サラエボとカルガリーは、ブライアンがともに銀メダルに終わった五輪でした。wikiを見てみると、ブライアンはヴィットの4歳上で、実は、ヴィットが12月3日生まれ、ブライアンが12月18日生まれ。へぇ、12月生まれには優秀なスケーターが集結しているんだな・・・と、意外な「共通項」を発見した次第です。

では、また明日!

Jun

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