「フィギュアスケート・マガジン 2019-2020 Vol.6 四大陸選手権特集号」(4)

「フィギュアスケート・マガジン 2019-2020 Vol.6 四大陸選手権特集号」(4)

さて、マガジンのレビューも最後です。今日はフリー後の会見から、気になった部分を拾ってみます。

まずは、フリー後の囲み会見(公式記者会見の後)のこのやり取りです(79頁)。

――12月のGPファイナル、全日本と大変な時期が続きましたが、この大会に向けてはどんな準備を?

・・・まあ正月も、まあトロントで過ごして…。で、やっぱり…うーんと…ちょ、正式にその…決めた…曲の変更を決めた時期がちょっとわかんないんで、ちょっと定かではないんですけど。昔のプログラムとかいろいろ滑ってみて、その時、すごくスケートに力をもらってたんですよね。それで「やっぱスケート楽しいな」ってすごく思ってて。でもなんか、その、やっぱエキシビのプログラムとかっていろいろやったんですけど、やっぱり競技プログラムだからこその楽しさっていうのがやっぱりあって。そこにはなんか、その…難しさをギリギリんところまで突き詰めて、で、それにプラスアルファで表現したい何かが、やっぱ、それぞれのプログラムたちに残ってるんだなっていう…。それを感じながら滑っていたら、いつの間にか、なんか気持ちが戻ってきてたっていう感じですかね。なんか、スケートに対する気持ちっていうんじゃなくて、自分の感情的なものがちょっと戻ってきたかなって感じです。

おそらくこれは「立ち話」のはず。ふわっとした受け答えのようでいて、重要な点がいくつかあります。(1)年明け後のトロントで「昔のプログラムをいろいろ滑った」ということ。(2)EXプロも滑ったが競技プロだからこその楽しさを感じた。以上の2点が気になりました。

つまり、バラ1とSEIMEIを早々に決めたのではなく、EXプロも含めていろいろと滑っていたわけですね。もちろん、MOIのSEIMEIが、プロ変更のある種の「引き金」であると同時に「決め手」にもなったはずですが、実際に何を滑っていたのか、ジャンプ込みでこの両プロ以外でも「試して」みたのか。この辺りを、いずれジュエルズのインタで読めればなと思います。

つぎに、80頁のこの部分。断片的には知られていますが、しっかり引用しておきます。

――この大会、「自分らしいスケート」ということをずっと言っていましたが、世界選手権は「勝利」と「自分が求めるスケート」とで、どうやってバランスをとろうと?

まあ、今やりたい…今やってることを突き詰めるって感じが一番強いですかね。まあフリーに関しては、もちろん点数出しきれてないですけれども、でも、方向性は間違ってないとも思うので。ま、この方向で、自分はやっぱりスケートをしたいって思えるんで、この方向がいいなと。まあ、それが、まあ評価されるのであれば、まあそりゃあうれしいですし、まあそれが評価されないっていうのであれば「もうしょうがない」と、なんか割り切るしかないかなっていうふうには。もう、ルールは自分で変えるものじゃないんで。で、それがなんか、それをジャッジの方々が見た時とか、観客の方々が見た時に、それがやっぱり「劣ってる」と思われてしまうのであれば、やっぱりそれは自分の実力だと思うので。うん。それを「劣ってる」と思われないようなスケートを、やっぱり『バラ1』みたいに、今回の『バラ1』みたいにしたいっていうのが、『SEIMEI』の一番の目標ですかね。はい。

断片的にニュースで伝えられている限りでは、「評価については割り切るしかない」という一言でまとめられていました。「現行ルールの中で選手は頑張るしかない」というのは、別に羽生さんだけが言ってるわけじゃなく、現役のスケーターなら誰もが思う所で、この部分に目新しさはありません。

むしろ、私が注目したのは「劣っている」という言葉なんです。何に比べて何が「劣っている」という意味なのでしょうか?・・・間違いなく、ここで言ってるのは、ネイサンの演技と比べて自分の演技が劣っているのかどうか?ということでしょう。おそらく羽生さんもOtonalやOriginに対するジャッジの評価に納得しているはずが無いんですが、でも、バラ1とSEIMEIでも「劣っている」と評価されたら「もうしょうがない」と、腹を括ったんじゃないかと。もちろん、それはノーミスのバラ1とSEIMEIという意味ですが。ノーミスのバラ1とSEIMEIでもsage採点で負けるのであれば・・・4Aにあまり固執していない4CCでの言動を鑑みると、「もうやめてやる!」ってことになるような、そんな風にも読み取れますが、ちょっとネガティブモードが入りすぎでしょうか。

最後に、「例の記事」が出てきた後、いま改めてこの発言を「完全収録」から引用しておきましょう(81頁)。

あの…なんていうかな…あの…うん…「フィギュアスケート」って、毎年、毎年新しいものをやったりとか、まあ、やっても2年くらいだったりするじゃないですか。ただ、それって、ホントにそれがすべて真理なのかなって自分の中で思ってて。伝統芸能だとか、『SEIMEI』とかがそうなんですけど…そっちの要素が入ってるので。なんか、もっと語り継がれるものっていうのは、何回も何回もやるじゃないですか、バレエにしてもオペラにしても。だから自分も、そういう道…に行ってもいいんじゃないかなって。もっと極められるものもあるし、むしろ…あの…なんだろう…同じものをやるってメチャクチャ怖いんですよ。ふふふふ。評価の対象が自分だから(笑)。しかも、最高の自分の状態に比べられちゃうんで、すごい怖いんですけど。でも、それよりも上に行けるようにっていうのは常に考えてるから、それもまたひとつの形なんじゃないか、『Origin』『オトナル』を通してここに来たからこそ、思います。はい(笑)。すいません。

みなさんはすでに正確に把握されていると思いますけど、羽生さんは「SEIMEIを伝統芸能にする」とか「フィギュアスケートを伝統芸能にする」とは言ってません。そして「バラ1やSEIMEIをもう何シーズンもやる」とも発言していません。「伝統芸能」というのはあくまでも「SEIMEIにその要素が入っているから」という点で例えとして言及しただけで、彼の真意は、「フィギュアスケートのプログラムも、2年ぐらいでおしまいじゃなくて、何回も何回もやって、極められる道もあるんじゃないか?」という問題提起の一つにすぎないんですよ。もちろん、1シーズン、2シーズンで完結させることが良くない、とも言ってませんから。

この記事を書いた時事通信の和田という記者も、おそらく記事の中で引用されている国際ジャッジやISU関係者に、「羽生選手が『フィギュアスケートを伝統芸能に!』と言ってましたが、どう思いますか?」と端折って取材したのでは?と。最初はジャッジや関係者の態度にイラっと来たんですが、逆にもしジャッジが「伝統芸能とは言ってないでしょ?」とピシャっと返したら、それはそれで学者のような正確な読解力なんですがね。

全文しっかり読んで正しく意図を読み取ることの大切さを痛感します。山口さんの仕事に改めて感謝したいです。

では、また明日!

Jun


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コメント

  1. ととちゃん より:

    逆に言うと、「これで劣っていると言われたら、もう仕方ない」と腹を括るためには、ノーミスの演技が必須な訳ですよね。
    いつも 羽生選手だけが、どうしてこうも 茨の道を歩かなければいけないのか、とため息が出ます。でも、だからここまでの選手になったのだとも言えますよね。

    世選、どうやら開催されそうですが、今シーズン最後に、これが羽生結弦のスケートだ!さあ、どう評価する?! とジャッジに突きつけられるような演技で締め括って欲しいと願っています。
    どうしても結果がものを言う世界ですから、ノーミスをすることで、1つのプログラムを何度も演じて極めていくやり方が 如何に真理であるかを、説得力を持って伝えることが出来ると思うのです。そのためにも、個人的には
    4Aより4Lzでまとめて見せて欲しいです。

    • Jun より:

      ととちゃん さま

      羽生さんは、お母さん以外の家族がこっちですから、日本のいまの状況を心配しているでしょうね・・・。

      ワールドの前に、世界ジュニアが来週からありますが、その開催形態が参考になるでしょうか。

      もしかすると無観客試合にするか、あるいは北米圏のお客さんのみ入れるか、特殊な大会になるかもしれません。