宇都宮直子著『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』(5)

宇都宮直子著『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』(5)

初めて、結弦くんに会ったのは仙台のリンクでした。父が嬉しそうに、紹介してくれました。「この子は、オリンピックの金メダルを獲るんだ」って。でも、結弦くんはまだとても小さくて、おしりの周りをぐるぐる回っていただけ。「えーっ、このキノコカットの子が?」と思っていたのを覚えています。だけど、父は真剣でした。固くそう信じていました。結弦くんが、どんなに素晴らしいかを、当時から熱心に語っていました。私思うんですけど……。

父は、「スケーターとして立派になるには、人として立派でなければならない」ということを、結弦くんにも教えていると思うんです。ほんの小さなときから、きっと。だから、もし、結弦くんが他の先生と出会って、ノービス時代を過ごしていたら、今は少し違っていたのかなって。父は本当に一生懸命、結弦くんと向き合っていました。

少し日にちが空きましたが、いよいよ最終章です。フィギュアスケーターのコーチというと、どうしてもキスクラで同伴している人だけと思いがちで、仙台時代は阿部奈々美先生、トロントに移籍してからはブライアンと・・・というか、「羽生のコーチってあの外人のおじさんでしょ?」と、地上波で試合を観るライトな層は、奈々美先生のことさえ知らないはずです。

しかし、ここまで本書を読んできて、都築先生のフィギュアスケートに懸ける情熱と行動力、誰も足を踏み入れたことのない未開の地を一人で切り拓くような日々、これに思いを馳せ、同時に羽生さんのこれまでの現役生活を思えば、そのスピリットは確実に継承されているように感じます。だから、Continues with Wingsには、稔先生を呼び、悠子さんを呼び、そしてスタンドには都築先生にも来ていただいたのだと、納得感があります。

ところで、新松戸と同じシステムで仙台のスケート場にスケート教室を開校したのは、1989年だそうです。当初、長久保裕先生を責任者として派遣。その時に、長久保先生は本田武史さんと出会います。都築先生が仙台に赴いたのは、新松戸のリンクが経営不振で閉鎖になったことが原因でした。

羽生さんと初めて会った日、都築先生は「オリンピック選手になろうね」と声をかけたそうです。そして、指導をしているうちに、その才能に気づきます。掛ける言葉が「オリンピックで頑張ろうね」に変わりました。

佐野のときもそうでしたが、羽生のときはなおさら、オリンピックチャンピオンにしたいと思いました。その思いを彼に託したのです。羽生は期待に応え、よくついてきてくれたと思います。

幼少期に、どんな環境で、どんな訓練を受けるかは非常に重要です。フィギュアスケートは基礎が大事なんです。そこがしっかりしていないと、絶対に上手くなりません。羽生にはジャンプのテイクオフを、しつこいほどやらせました。将来、美しいジャンプを跳べるようにするためです。

芸術面については、ロシアから学んだものが大いに役に立っています。あの時分、日本は指導マニュアルも持っていませんでしたからね。羽生には、毎週末、自由に踊らせました。私がプレゼンテーションした「音楽アーツ」という時間で、です。

羽生の音楽と一体化したようなところは、天性のものです。音に対してはものすごく敏感でした。音に合わせて踊る、音を表現するというのが好きでした。だから、こちらはそういう環境を用意して、与えたのです。体格、性格、感覚的なもの。彼にはフィギュアスケートに必要な条件がすべて備わっていたと思います。

まさに、ルイシキンが1990年代に来日して、子どもたちに「音楽性」というものを指導した際のロシア流のプログラムが、羽生さんのスケートのルーツとしても生きているわけですね。

そして、幼少の頃に「ジャンプのテイクオフ(踏み切り)」という部分への徹底した基礎練習を積み重ねたからこそ、ごまかしの無いクリーンなジャンプを私たちに披露してくれている。近年の指導現場は、カメラによる撮影技術が進化して、練習中にタブレットですぐに映像もチェックできるような、たいへん便利な環境になりました。しかし、先日の世界ジュニアでもひどい踏み切りの選手は見られました。正確な基礎技術を習得することの大切さを痛感しますね。

私が、羽生のコーチだったのは小学6年生までと思われている方もいますが、そうではありません。職場の関係(仙台リンクの閉鎖。2006年)で、私が横浜へ移ってからも続いておりました。この間、基礎となる部分をすべて作りあげたと自負しています。仙台の頃から、将来の3回転アクセル、4回転が可能になるような指導をしておりました。

「挑戦をしなさい」とは、常に言っていました。「未知の世界に向かいなさい」とも言いました。羽生は賢い子でしたから、自分なりに解釈し、心に残してくれたのではないかと思っています。それから、「芸術家になりなさい」とも言い続けました。いつか日本のフィギュアスケートにも芸術の時代がやってくる。それに対応できるような、美しいスケートが必要だと思いました。私は彼に、1スケーターで終わってほしくなかったのです。

要求するものが何と多いことか・・・。でも、彼なら吸収できると確信して、都築先生は羽生さんにこれらすべてを求めたのでしょうね。そして、実際、そのすべてを実践して、結果も残した。

4CCでバラ1とSEMEIを復活させた今、先生のこの発言を読むと、「技術面の挑戦」と「芸術面の挑戦」の狭間で、羽生さんはいまでも試行錯誤しているのだなと感じます。そもそも「正しい技術」というものを、現行の採点システムでは正当に評価できない状態なので、どこにエネルギーを注ぐべきか悩ましい。

ただ、一つ言えるのは、忖度されないスケーターは「ミスをするとごっそり減点される」という傾向はあると思います。羽生さんはもちろん、駿くんもそうだなと。だから、一か八かで成功率の高くないジャンプを組み込むのは「勝負」という面ではリスキーで、「ノーミスできる構成のレベルを徐々に上げる」ということが、現実的な戦い方なのかなと思います。羽生さんにとって、「ノーミスできる」という部分で自信となっているのが、バラ1とSEIMEIというプログラム。最近、ブライアンがロシアメディアに語ったインタも出てきてましたが、勝つためには、この戦い方が唯一の道なのでしょう。

さまざまな経験を重ねてきましたが、やはり羽生が国民栄誉賞を頂戴するようなスケーターになってくれたことは、特別ですね。スケート界にとっても、非常に素晴らしいことでした。

私が羽生に出会えたのも、この仕事をしていたからです。もし途中で諦めていたら、そういう喜びもなかった。一途に歩んできたからこそ、こういう形に結実したのかなと……。スケートと向き合って生きるのが私の役目、人生だったのだろうと思っています。

何事も、続けていればいいことがある。もちろん、「個人の趣味」というレベルを遥かに超えるような、都築先生のご苦労は想像を絶するものですが、でも、だからこそ、先生がそのような喜びをいま感じていらっしゃって、嬉しく思います。先生のご尽力が報われてよかった・・・。心からそう感じます。

では、また明日!

Jun

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コメント

  1. Fakefur より:

    ありがとうございます。
    今、通勤電車の中で文面を追っているだけで、目頭が熱くなってきます。

    幼い頃から、父上は結弦くんの才能を信じて支えてきたんですね。謙遜が尊ばれる日本では、身内を褒めるのは遠慮してしまいがちですが、家族からの絶対的なサポートが結弦くんの自己肯定感の醸成に繋がり、その人としてのベースに、都築先生の厳しい指導が加わり、今の羽生さんの正しい技術、流れるような美しいスケートと不屈のメンタルが出来上がったのですね。

    そして羽生さんが、自分を今の自分にたらしめた先人たちと環境への尊敬と感謝を決して忘れていない点、まだ二十歳そこそこのころからですよ!凄いことです。都築先生の積年の情熱と献身がこうして報われたこと、陽の目を浴びたこと、本当に良かった。感謝の気持ちしかありません。

    • Jun より:

      Fakefurさま

      やっぱり教育って大切ですよね。そして、羽生さんに影響を与えた人たちを見ていけば、まず、ぜったいに表に出てこないご家族。

      指導者たちも、奈々美先生、都築先生、そしてブライアンと、人格的にも素晴らしい人たちばかり。そして、羽生さんの行動・言動は、フィギュアスケートという枠を超えて、世界中に影響を与え、また継承されていく。素晴らしいことだと思います。

  2. ととちゃん より:

    都築先生が羽生選手に与えたものは数え切れないほどありますが、「確固たる技術力」を徹底的に叩き込んで下さったことに、まずは感謝したいです。「しつこいほど」繰り返し練習させて下さったお蔭で今の羽生選手があるのだと思います。もちろん、それに食いついていった羽生選手自身の根性もあるでしょう。

    そして、天性の音楽表現の才も見抜き、相応のレッスンもして下さった。その方法の元を辿ればルイシキンに行き着くことを思うと、フィギュア史の壮大な流れの中に、羽生選手が存在している必然を、改めて感じさせられました。

    都築先生の努力は、五輪連覇という形で一旦は結実しましたが、今、その目指すスケートは正当に評価されているのかと考えると忸怩たる思いがあります。先生ご自身はどうお考えなのでしょう。世界選手権(実施されそうですが)でのジャッジングは未来を占うものになりそうですね。

    • Jun より:

      ととちゃん さま

      やっぱり、フィギュアスケートの技術と芸術の元祖は、ロシアにあるんだな・・・と改めて実感しました。

      売れっ子振付師のシェイリーンも、タラソワさんやモロゾフと関係が深いですし、羽生さんのプログラムに欠かすことのできない人ですから、なるほどなぁと。

      じゃ、なぜエテリの所のプログラムがあんなに酷いのかという話になるんですけど、あのチームはロシアの中でも特殊なのかもしれません。

      そうそう、ミーシン先生が、「5回転を跳ぶには、動作のメカニズムを変えないといけない。そうでないと不可能」と語っていました。フィギュアスケートの技術において正しいか正しくないかではなく、「変えないと不可能」ということ。もしかすると彼は、女子の4回転で起こっていることを暗に示唆しているのかもしれません。