ソチ五輪で羽生さんが金メダルを獲得したのは、2014年2月14日でした。ちなみに、将棋の羽生善治さんが7冠達成(全タイトル独占)した日が、1996年2月14日なんです。羽生先生が25歳の時でした。
そうなると、藤井聡太さんの絶頂期はいつ訪れるのか?タイトル独占(現在は全部で8冠)するとしたら、いつなのか?ということが話題になることもありますが、20代中盤というのは一つの目安になるかもしれません。藤井さんはいま18歳なので、まだ7年も後の話ですが。
さて、羽生さん関連で「おや!」っと思ったのは、JOCのHPで公開されている「特別インタビュー」です。取材日は、メダル獲得の翌日の2月15日。HP上でアップされたのは2月19日となっています。私がこの全文を読むのはおそらく初めてです。
ソチに入った後や、団体戦が終わった後からショートプログラムまでの間は、「これがオリンピックか!」という感じがすごくしていたのですが、いざスケート靴を履いて練習してみたら、もうほとんどオリンピックだという感覚はなかったですね。どんな試合でも緊張するから、それが一緒なんだなと思いました。
よく、オリンピック代表選手から、「五輪を楽しむ」とか「いつも通りやる」と五輪を意識していないようで、実は意識を隠しきれていないコメントを聞くことはありますが、羽生さんはちょっと独特ですよね。「どんな試合でも緊張するから、一緒」という発言は、緊張する自分自身を無理に騙そうとしたりはせず、自然体で臨んだんだなという印象を受けます。
今回も被災地を含めた東北の方々や宮城県、仙台市のみなさん、また日本で応援して下さっている人たちがたくさんいました。その方々にどれだけ勇気をもらえたか、どれだけ背中を押してもらえたかをすごく感じているので、逆に本当にありがとうございましたと言いたいです。もしかしたら、この金メダルは羽生結弦じゃなくてもよかったかもしれません。でも、僕というその存在の中にたくさんの思いが宿っていると思うので、決して一人じゃないということを忘れないようにしたいですね。本当にうれしかったです。
この頃から「羽生結弦じゃなくても」というようなコメントもしていたんですね。彼らしいといえば、彼らしい。フリーの内容に満足していなかったので、金メダルを獲っても浮かれた所はないですね。
そして、震災直後のシーズンと比べると前向きで、「フィギュアスケートをやっていていいのか?」という葛藤に一区切りつけて、トロントに拠点を移したことも好影響を与えたのかなと思います。スケーターはスケートをやるしかない!と。昨年の全日本への出場、そしてLMEYをプログラムに選んだことも、そこから繋がっているような気がします。
土曜日の夜、福島・宮城で大きな地震があり、アイリンも営業停止と伝え聞いています。練習場所どうすんの?と少し心配ではありますが、常に、先手・先手を打って行動する彼ですから、大丈夫だろう!と信じています。
では、また明日!
Jun
コメント
なんか結弦くんと羽生先生はどこかで繋がっているんですね?
羽生先生25歳でしたか?凄いなあ
皆さん藤井二冠のことも羽生先生のようになるとネットニュースで見ますけど
将棋界を賑わしてくれるだけでもいいけどなあ 羽生先生のようになるには先ず健康でないと無理だしモチベーションも保たなきゃいけないし難しいことですが大学もやめて
専念するからいきそうですね?
昨日たまたま師匠とほかのお二人の対談を読みましたら、藤井くんは運が悪いとのことでした。本当ならもっと早く上がってたとのこと。時期とかいろいろありますもんね将棋は。昨日のスポニチでは永瀬さんが雨の中外で指してる動画で回りましたね?イヤイヤ
悪天の中気の毒でした。立川のホテルは泊まってみたいです。
先日の地震で被害が凄くてアイリンも工事が必要とのこと、結弦くんが練習してるときに起きたのでは?と心配しました。百音ちゃんは試合ないけどワールドがある結弦くんの練習場所が気になります。試練与えすぎです、ホテル住まいして八戸や盛岡あるいは北海道?新潟もどうぞだけど西川さんも購入して協力することしか私には出来ません。
Senninさま
七冠達成当時は、各紙に「羽生善治番記者」のようなライターがいたそうですよ。まるでメジャーに渡った頃のイチローとか松井みたいですよね(笑)。
永瀬さんのスポニチの罰ゲームはなかなか強烈でしたね。将棋盤にビニールをかぶせているのでOKらしいですが、雨の中でスーツでサンダルで傘をさしながらって、かなりの無茶ぶりです。
ゆづさんについては、きっとリンク使用を許可してくれるお話(東神奈川など)はあるのでしょうが、移動も難しいですからね。陸トレ・イメトレでコンディションを整えつつ、アイリンの工事の状況を見つつ、という所でしょうか。