「フィギュアスケート・マガジン 2021-2022 Vol.6」(2)

「フィギュアスケート・マガジン 2021-2022 Vol.6」(2)

昨日の「マガジン」のレビューの続きです。

今回は、報知新聞の矢口亨カメラマンとマガジンの毛受亮介カメラマンによる「フォトグラファーが語る 北京五輪2022」です。お二人の対談記事の前に、お二人の一押しのショットが掲載されているんですが、これが実に素晴らしい!

矢口さんは、「春よ、来い」でのハイドロなんですが、カラーで撮影したものをあえてモノクロにしています。幻想的であり、カラーよりもザラっとした質感があって、シャープに見えます。

毛受さんは、「ロンカプ」の演技前、穏やかな表情の羽生さんを真横から撮ったもの。ブルーのフェンスと相まって、青一色という感じです。

今回の対談、写真撮影の技術的な話はほとんど無くて、「フォトグラファーから見た、羽生結弦論」という感じで、私のようなカメラの知識ゼロの人間でも楽しく、そしてグイグイと引き込まれるような内容に仕上がっています。

矢口 「羽生結弦のスケート」といえば、僕はハイドロブレーディングなんです。今回、羽生君は北京でいろんなアクシデントがあって、悔しい思いもした。このハイドロは、「この人は本当にスケートが好きなんだな」と僕に思わせたシーンなんですよ。羽生君の姿が氷に映るということは、それだけ氷に近いところで滑るということですよね。スケートや氷を愛している気持ちが、このシーンに出ている気がするんです。特に今回は、このエキシビションまでにいろんな出来事があって、だからこそ余計に自分の心に響いたんです。僕が今まで観た「春よ、来い」の中で一番よかった。最高だと思いました。

本誌を入手されている方はご存じかと思いますが、まだの方、このモノクロ写真、めちゃカッコいいです。今まで見たことあったようでなかったというか、羽生さんの黒のパンツや、氷上の氷の質感が凄くて、このページを触ったらザラっとしていそうな、不思議な写真です。羽生さんのスケートを見ていると、表情がよく分かるのはステップですが、ハイドロに「氷への愛」を見出すというのは、プロのカメラマンの独特な感性なんだろうなと思います。

毛受 まず、全体的に「青」で統一されていて、静けさがさらに強調されていたように感じたのね。北京への道のりの中で、羽生選手はずっと1人で練習してきて、北京でもやっぱり1人で、日本のファンもスタンドにいなくて、そういう静かな中で戦いに挑んでいくという…。その状況下で自分を見つめて、そこから演技に向かっていく気持ちが「青」に表れている気がして。

無観客というのもありましたが、そこにおいて、「青の中の青」に羽生さんが静かにたたずむショットなので、より静寂さを連想させられます。平昌五輪では紫を基調としたフェンスでしたから、そこはやはりはっきり違いましたよね。

改めてよくよく考えれば、五輪の3連覇がかかるトップ中のトップアスリートが一人で練習・調整してきたというのは、異常事態でしたよね。もちろん、コロナ禍ということと、4Aはリンクを貸し切りらないと集中的にトレーニングできないという「要素」も加わっての「一人練習」だったとはいえ、羽生さんは孤独だったと思います。

記者座談会も、フォトグラファー対談にも感じましたが、羽生さんという不世出のスケーターに対して大いにリスペクトしつつも、どこか「親が子を見守る」ような眼差しも感じるんですよね。私は、矢口カメラマンと同世代で、彼より若いのは小海途カメラマンぐらいでしょうか。

ところで、対談の中で、矢口さんがチラっと「いつまでフィギュア担当でいられるか分からない。北京五輪が終わったら外れるかもしれない」という覚悟を持って、北京での羽生さんを撮影していたと語っていました。

これって、冗談でも何でもなく、羽生さんが引退したら、フィギュアスケートのニュースバリューなんて大暴落するでしょうから、特に新聞社・出版社所属のカメラマン・ペン記者さんたちも異動しちゃうかもなぁ・・・なんて考えてしまいました。

メタルジョギング・チャレンジは72日目。QUIET RIOTの『Quiet Riot』(1977年3月)です。伝説的ギタリスト、ランディ・ローズが結成したアメリカのメタルバンドですが、デビューアルバムの本作、そして2枚目は日本のみの発売で、しかもCD化が未だに実現していません。

音楽自体は、後の80年代に大流行するLAメタルの香りが漂っているんですが、1曲目の「It’s Not So Funny」からして、ランディのギターが異様に主張していて、ただのパーティロックのノリではありません。

オジー・オズボーンがBlack Sabbathを脱退後、自身のソロバンドの初代ギタリストとしてランディを引き抜いて(オーディションを受けてはいますが)、1作目の『Blizzard of Ozz』、2作目の『Diary of a Madman』と、80年代のメタルの名盤として名を連ねるほどの傑作を連発します。しかし、突如として悲劇が訪れます。ランディの乗った飛行機が墜落し、1982年3月19日、ランディは25歳の若さで帰らぬ人となりました。詳しい背景は、ランディの「wiki」に書かれていますが、以下の部分が印象的です。

ランディの死はオジーに大きなショックを与え、ブラック・サバス時代以上に酒や薬に溺れ、手が付けられない状態であったと言う。後にオジーは一度引退するが、その時にランディ宛に手紙を書いている。また音楽評論家の伊藤政則によれば、当時のオジーはランディの名前を出す度に大声で泣き出し、インタビューにならなかったと振り返っている。

ランディ在籍時のオジー・オズボーン・バンドの映像が残っていますが、凄く音質が良くてビックリ。金髪をなびかせて、甘いマスクで、ザクザク攻撃的なリフを刻む姿はランディの姿は本当にかっこいい。そりゃ、泣きたくなるわ・・・。約40年前の、この充実した楽しそうな雰囲気の映像を見ながらブログを書いているだけの私ですら、悲しくなってきます。

では、また明日!

Jun


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