みやびやかなひと刻(第十夜)

みやびやかなひと刻(第十夜)

フル音源は「こちら」で。

今回のテーマは「日本独自のこだわり」ということでした。フィギュアスケートの専門的な話題に留まらず、私たちの「価値判断」に通底するお話になっており、非常に興味深かったです。

羽生さん曰く、音楽・言語の「テンポや音感」には日本独自のものがあって、海外の振付師の考え方と羽生さん自身のそれとの「違い」に気づくとき、その違いの根底に「日本独自のもの」が根ざしているのだろうな、というお話でした。他にも、イヤホンにおいても、日本のエンジニアが作るものにはそんな拘りがあるとのことですが、それはもうウン十万円クラスの海外・国内両メーカーの製品を聴き比べている人の意見でしょう。私がイヤホンを使う機会は、ワイヤレス限定で電車での移動時ぐらいですが、どんなに出しても2万円以内で抑えたいですね。

私はスポーツや将棋など「勝負事」に身を置く人たちのコメント・発言を目にする機会が多いのですが、「日本独自の価値観」と言うと、「自分が弱いから負けた」とサバサバして、あまり多くを語りたがらない人には、そういうものを感じます。これって、将棋の藤井聡太竜王もそうですし、たぶん彼も影響を受けているであろう「大相撲の力士」のコメントが一般的にイメージしやいです。とすると、やはり武道にルーツがあるのかもしれません。

逆に、マスコミに意地悪な質問をされたり、SNS上での素人のリプに対して、いちいち反論したりするのは、私が思う「日本独自の価値観」という所からすると、ちょっと違和感があります(「反論する人は日本的じゃない」という意味ではないですよ)。

羽生さんの競技者時代と言えば、演技直後であっても担当記者に心境を細かく伝えて、そこで言語化された反省点を今後の試合に生かしているように見えました。ただ「生かす」と言っても、採点がアレですから、彼の反省の弁を聞いていて、ファンのひとりとして正直ツライこともあったんですよね。「真の敗因」ってそこじゃないでしょ?と。

しかし、プロ転向後の羽生さんは、「職業・羽生結弦」で、羽生さん自身の求める「スケート道」を探究する立場になりました。誰かと何かを競う立場じゃない。「道」とは言っても、武道でもない。「表現者」ですよね。だから、誰かを気にすることなく、その壮大な構想を包み隠さず語ってほしいと思っています。

では、また明日!

Jun


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