東和品質スペシャル対談#02(11.1)

東和品質スペシャル対談#02(11.1)

前回の対談については「こちら」で。

いやぁ、今回はさらに面白かったですね。吉田社長がおっしゃっている東和薬品さんの展望としては、「薬効はそのままに、苦くない薬をつくれないか?」というお話だったんですが、「いまの基盤だけだと苦味のマスキングは全部はできません」「しかも苦さというのは人によってちがう。これでいいというものがない」ということでした。

そこで羽生さんが、フィギュアスケートにおける彼自身の問題関心を提示すると、議論がガチっと噛み合ってきます。

いままで点数を取るために培ってきたフィギュアスケートの基礎とか基本だけでは、どうしても足りない。新しく、より表現豊かなフィギュアスケートとして基盤作りをしていかなきゃいけない、ということを常に考えてきました」

「社長がおっしゃっていて、すごく面白いなと思ったことの一つは、『基盤作りに挑戦していく』ということです。『基礎はそもそも存在しているから、そこに応用が積み重なっていく』っていうのが僕のイメージだったんですけど、『応用するためにどんどん掘り下げて基礎ごと新しくする』というのは、すごく矛盾していて面白いなと思ったんですよ

例えば、ネット上とかで、「阿修羅ちゃん」を批判する意見を目にすることがあるんですが、きっとあの曲調や世界観って、「点数を取るためのスケート」を基盤にしていては、表現しきれないってことなんでしょうね。スケートの基礎・基本というものを改めて考え直して、氷上でどう身体を動かして、どう表現するか。場合によっては、新しいものを追求していかないといけない。

「あんなのスケートじゃない!」と思う人って、実は「プロスケート」というものを「否定」しているんですよね。だって、プロのスケートというものが、競技者時代のスケートと同じであることを良しとするなら、そりゃ国内外のライバルと競って、点数で順位がつけられて、五輪でメダルを争う方がエキサイティングに決まってますし、そこに「プロスケート」の存在価値はありません。事実、世間一般の「プロスケート」のイメージって「引退した人の顔見せ」程度に留まっているのが現実なんだと思います。

フィギュアスケートの技術レベルを落とさずに、でも、アイスショーが「ゼニの取れるエンタメ」としての地位を確立するためには、どう進化すべきか?時にはスケートの基盤を壊しながら、羽生さんは日々格闘し、勉強する日々なのでしょう。私も、少しでも彼のその思いを想像しながら、引き続き応援したいなと思っています。

では、また明日!

Jun


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コメント

  1. ハリネズミ より:

    おはようございます🌞
    いつも楽しく拝読させたいただいてますが、今回も休日の朝から(自分が読んだ時間ですが😅)スカッとする記事をありがとうございます!
    ホントに羽生さんの考え方って良い意味で斜め上って言うか、素晴らしいですよね。斬新?新鮮‼️

    私は古参のファンの方がよく「あちら界隈に酷いことされてきたから誰にも優しい」という論調で語りますが、“人にされて辛かったから自分はしない”のではなくて、もともと人間が稀有なレベルで純粋で明晰なのだと感じます。
    スケートの技術や藝術性のみならず、人間性にも世界中から温かい言葉だったり、鋭い分析だったり様々に賞賛称賛され続けていますが、目が離せない存在だとの認識が日本では全然足りていないと忸怩たる思いがあり過ぎる!
    😅イキナリ語って申し訳ありません。
    これからも他分野の記事も併せて楽しみにしております💫

    • Jun より:

      ハリネズミさま

      例えば、藤井聡太八冠は「どこを切り取られても『失言』として報じられないように」という点を念頭に置いた発言に終始しています。あれは、親御さんや師匠の杉本昌隆八段の教えもあると思うんですが、やはり、「本業(将棋)で力を出すためにはどう振る舞うべきか?」という部分を考え抜いた上なんだと思います。

      羽生さんの「優しさ」の源泉には、本人の資質、親御さんの教育、そして、「あの業界で生き残るための知恵」という少なくとも3つはありそうですよね。ただ、プロ転向によって、3つの目の部分の負担はかなり減った印象です。デタラメなルール・採点に気を揉む必要もなくなり、より自分自身のスケートに集中できる環境となったことは喜ばしいと思いますね。