「Quadruple」のレビューの1回目は、まずは羽生さんのインタから。取材が実施されたのは、「Notte Stellata 2024」を終えた翌日、3月11日の仙台市内のホテル。「RE_PRAY舞台裏SP」と若干かぶるやりとりもあったので、あのSPで聴けなかった発言を拾ってみました。
僕自身のなかでは、「ただ単純に(2時間半の単独公演という)長距離走をやっている」というイメージではないんですよ。そうですね、マラソンと駅伝の違いをイメージしていただけるといいかもしれません。・・・僕の公演は、マラソンのようにずっと1人で走っているんですけど、実際には、ひとつずつのプログラムが駅伝の区間のようになっているイメージです。・・・それぞれの羽生結弦が全力でひとつずつのプログラムを滑っていて、それがすべて合わさったときにひとつの「単独公演」という作品になっています。・・・(体力の)ペース配分(温存)という発想はなく、それぞれのプログラムに合わせた全力を出し続けられるようになるためのトレーニングを行っています。
なるほど!と、思わず膝を打ちたくなる、実に上手い例え話と感じました。「温存」なんて微塵も感じさせない公演ですしね。最後までプログラムをただ単にやり切れば良し、というわけではまったくない。確かにジャンプの少ないプログラムも途中にありますが、じゃあ、箱根駅伝では、最も過酷な山上りの5区以外はラクなのかというと、そうではない。それぞれの区間にそれぞれの難しさがあり(平坦なコースの場合、風や気温の影響は山よりも大きいですからね)、当該区間に適正のある選手が選ばれている。むしろ5区は特殊で、そこを得意にする選手は「山の神」とも呼ばれるスペシャリストで、必ずしもトラック種目やマラソン(ハーフマラソン)で良いタイムを持っているわけじゃないですから。
自分自身は2018年に平昌(五輪で2連覇の金メダル)を獲ったあたりから、点数のためのプログラムを考えることに寂しさのようなものを感じ始めるようになりました。GOE(技の出来映え点)が変わったり、PCS(演技構成点)の天井のようなものを感じたりするようになったんです。・・・どれだけ表現に力を入れたとしても、音に関しての考えを深めていったとしても、やはりPCSが伸びきらないというか、もうどうしようもないところまで来てしまっていました。そのなかで、ジャンプの基礎点を上げるしかなく、そのために新しい技を習得するので、(ジャンプ以外に費やす時間が減ることで)すべてを突きつめていくわけにはいかなくなっていきました。
冬スポのルール変更はフィギュアスケートだけの話ではないですけど、男子シングルの現状について言えば、完全に「ジャンプ競技」ですよね。高難度ジャンプをある程度の本数を降りられれば、それ以外はスカスカでも、GOEもPCSも連動するという仕組みになっている。平昌五輪以前は、ハビやパトリックのような、スケーティングや表現面に定評のある選手も表彰台を争っていました。そこに、ボーヤンやネイサンのようなジャンプの得意な選手、宇野さんのような若手も出てきて、羽生さんはその個性的な選手たちの中心に位置する感じでした。上位陣の個性がぶつかりあっていて、その誰もが優勝するチャンスがあった2017年のヘルシンキワールドが、男子で一番ハイレベルだった瞬間ですよ。ということは、あそこから採点基準等を大きく変えるべきではなかったんですよね。
自分自身が、みなさんの期待に応えられるかという怖さだったり、実際、応えられているのかなという不安だったり、そういう思考がいまも絶えずありますが、きっとその思考がなくなってしまったり、(「羽生結弦」という存在が)重荷だと思わなくなったりしたら、そのときが自分の限界だと思います。・・・進化を続け、理想へ届いていくのはものすごく大変ですが、そこを目指す気持ちが、いわゆる原動力のひとつになっていると思って受け止めています。
羽生さん自身が、「羽生結弦」に対して、世界の誰よりも期待しているんですよ。だからこそ、自分自身に対して世界の誰よりも厳しいし、それを行動で示すのが「羽生結弦」たるゆえんです。
今回のインタビューに際して、羽生さんは色紙に「世界を変える!」と書いていました。ここまでストレートな表現も、彼にしては珍しい気もします。たしかに、競技者時代には偉大な功績を残し、実績・人気の両面で、それこそ「フィギュアの世界を変えた男」でした。でも、当時の彼が自分のフィギュアスケートによって「世界を変える!」と言ってましたか?おそらく無いと思うんですよ。
競技者時代のような様々な「制約」から解放された今、頭の中のあらゆるアイデアを形にできるのが、プロスケーターとしての羽生さんです。ぜひまた新たな世界を、Ice Story 3rdで見せてほしいですね。みんな待ってますよ!
では、また明日!
Jun