読書雑談(塩沼亮潤大阿闍梨)

読書雑談(塩沼亮潤大阿闍梨)

日曜日の「RE_PRAY特番」をまだ見れていないので、今日は別の記事を投下します。

Amazonで何をどう検索して本書にたどり着いたのか思い出せないのですが、「1,300年の歴史の中で成功者たったの2人の荒行(大峯千日回峰行)を達成した超人」がリアルタイムでご存命で、その方が、こちらの塩沼亮潤大阿闍梨(*阿闍梨とは「先生」の意味。「だいあじゃり」と読みます)。

塩沼住職は宮城県仙台市の生まれで現在55歳。その修行の内容を振り返る著書が「本書」です。修行の大まかな内容は以下の通り。「こちら」にも概要が記載されています。

・奈良県吉野の山道、片道24キロ、高低差1,300メートルの山道を1日で往復。これを毎年5月3日から9月初旬までの山開きの期間に、年間約120日、のべ9年がかりで1,000日行う

リタイアは不可。断念するなら、腹を切るか、首をくくるかの自決をしなきゃいけない掟になっている

・毎日夜中の11時半に起床し、滝で身を清めた後、午前0時半から登り始めて、午後3時半頃に参篭所に戻る。翌日の準備はすべて一人で行い、就寝は夜7時半頃になる

何の準備もなくいきなり「千日回峰行」を行うのではなく、事前に「百日回峰行」を達成した者(*百日回峰業は2日かけて往復する)だけが志願できることや、1,000日連続というわけではない点、食料・水、そして薬や湿布をしっかり準備して山を登るわけですが、ただ、医者に診てもらってはいけない決まりになっています。

本書は、ウルトラマラソンのランナーや登山家の回顧録のような側面も無くはないですが、ドクターストップやリタイアという概念が無く、「断念=死」というところが、まぁ、むちゃくちゃです。

ところで、世界の様々な宗教家の書く「自己啓発書」の中で、「私たちは生かされている。日々を感謝して過ごしなさい」的な文言をよく見かけるわけですけど、塩沼住職の場合、この修行でいつ命を落としていてもおかしくなかったし、「生かされている」という言葉にはリアリティがあります。

修行の内容が内容なので、いったいどんな強靭な精神力の持ち主なのか?と思いつつも、折に触れて紹介されている「日誌」には当時の率直な感情が綴られています。特に印象的だったのは、下記の489日目の日誌でした。

四百八十九日目、腹痛い、たまらん。体の節々痛く、たまらん。道に倒れ木に寄りかかり、涙と汗と鼻水垂れ流し。でも人前では毅然と。俺は人に希望を与える仕事、人の同情を買うような行者では行者失格だと言い聞かせ、やっと帰ってきた。何で四十八キロ歩けたんだろう。さっき、酒屋のおばちゃんがすれ違いざま、「軽い足取りやねえ、元気そうやねえ」と。俺は「はい、ありがとうございます」と答えたが、本当は違うんだよ。俺の舞台裏は誰も知らないだろう。いや知ってくれなくてもいい。誰に見られるということを意識しない野に咲く一輪の花のごとく、御仏に対してただ清く正しくありたい。

他にも、「花」についての思いが随所に登場していて、「人なんて縄張りを争う小鳥のようなもの。花は自分の隣に、どんなきれいな花が咲こうとも妬まない、姿を変えない」という一節は、これだけの長期間自然の中に身を置いて、ただひたすら一人で歩いてきたからこそ、生まれたんだなと。

「世界に一つだけの・・・」という有名な歌詞も「周囲」というものを意識しているので、一味違う視点だなと感銘を受けました。

というわけで、スマホを触ることも忘れて興奮状態で読了した後、ネットで調べてみると、このようなご縁があったことに驚きました。一緒に写真を撮ったのは2012年のようで、その後、羽生さんは抜群の競技実績を上げながらも「孤軍奮闘状態」でただただスケートに打ち込んでいました。少なからず住職の影響を受けていたのかもな・・・なんて感じています。

では、また明日!

Jun


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