「フィギュアスケート・マガジン 2020-2021 Vol.1 プレシーズン」(1)

「フィギュアスケート・マガジン 2020-2021 Vol.1 プレシーズン」(1)

ここに来て、紀平さんや宇野選手のプログラムの話が出てきているので、羽生さんもそろそろ?と思っているんですが、まぁ、とはいえ、彼の場合、他の選手の状況が当てはまらないので、こればかりは読めませんね。神のみぞ知る、という所でしょうか。

さて、ようやく巻頭から落ち着いて読み始めています。今日は、当初から目玉企画と言われていた「ニース」と「ソチ」の企画について、感想をまとめておきます。

・この2大会の開催時にマガジンはなく、山口さんもフィギュア自体を取材していなかったので、当時取材に携わった他社の2人の記者さんの力を借りることで企画が成り立っています。両企画を読んで、まず、なるほど!と感心したのは、「同じ構成」で揃えていないということなんですよね。ニースは現地でのレポートが中心。ソチの場合は、ソチ五輪前からのリンク外での直接取材も含む内容でした。読んでて飽きさせない構成(飽きるわけないんだけど!)になっています。

・そして、ソチの企画の方では、共同通信の井上将志記者が、2011年5月、東神奈川のリンクの休憩室で羽生さんに「初めての一対一での取材」をしています。いまでは不可能なこの取材形態。しかし、2013年6月のシーズンオフにも「家族の話題」について取材していますね。山口さんに限らず、羽生さんの番記者なら喉から手が出るぐらい、このような取材をしたいはず。この2つの証言を是が非でも入れるために、ソチの方は「大会レポート」の形式を「捨てた」のではないか?と、勝手に想像しています。

・特に、お父さんとお母さんについて語っている部分が貴重です。「お母さん」に関しては、マイレピの企画の中心テーマになっていたので、二人の関係性は想像できるんですが、羽生さんがお父さんの部分について具体的に語った部分は、私の知る限り、世界初公開ではないでしょうか?

「父は、僕を叱りながらもすごく励ましてくれて、スケートを応援してくれる存在。毎晩遅くまで練習しても、送り迎えをしてくれた。僕自身、すごく理論派な部分があるんですけど、どうやったらいいか相談して父と2人で考え、議論することもありました。それで今のジャンプの理論があると思っています

ここを読んでいて、内心「どひゃー!」という感じで、驚きました。まぁ、7年前の6月の取材なので、それこそ、半沢直樹の1stシーズンの放送されるちょっと前ぐらいですよ。半沢はガラケーとスマホを併用していて、浅野支店長への「脅迫」もLINEではなくメールでした。・・・という脱線はともかく、でも、すでにトロントに渡った1年後にも関わらず、お父さんについてそのように語っていることが興味深い。世界最高のクラブで最新の指導を受けているのに、お父さんとの「相談」を大切にしている。いい話だなと思います。

・ニースに話を移しましょう。日刊スポーツの阿部健吾記者による現地取材。それまでのサッカー担当からフィギュアスケート担当になって初めて取材した大会がニースワールドというのが興味深い。特に、2012年夏にロンドン五輪を控えていたので、フィギュア取材に今ほど人員を割けなかったようです。

・そんな阿部記者は、やはりロミジュリのコレオ前の「雄叫び」を見て衝撃を受けたようです。羽生さんが氷上で見せた姿を、「獣」「漢(おとこ)」と評しています。

・あのロミジュリを見て、阿部記者が本社に電話をかけて「羽生にスペースを割いてほしい!」と興奮気味にデスクに直訴している様子は、迫真の記述ですね。そして、翌朝の紙面は、銀メダルの高橋選手よりも、「羽生、被災地へ贈る最年少銅」の文字の方が大きい。当時の状況を考えたら、日刊さん、よく頑張ってくれました。その頃の日刊は良かった・・・。あ、でも、いまも頑張ってますよ!

・ゴルフの石川遼選手との比較は、座談会の高木記者も話されていましたね。私はゴルフをまったく見ないので、いまいちピンと来ないんですが、私が何かの番組で覚えているのが、少年時代の石川選手をお父さんが毎日車でゴルフコースに送り迎えをしていて、でも、お父さんご自身は駐車場の車の中でずっと待っているというエピソードでした。大人たちは、上手な子どもとラウンドなんてしたがらない。でも、その中でも一緒にラウンドしてくれる大人たちとしっかり自分でコミュニケーションを取りなさい、ということだったそうです。

・若い頃からメディアの大人相手にしっかり自分の考えを話せる人って、なかなかいません。最近だと将棋の藤井聡太二冠が「若い人」では有名ですが、彼の場合、マスコミから叩かれるようなエサを決して投げない。「将棋にマイナスにならないような受け答え」に終始していて、あくまでも「盤上で自分を表現したい」という考え方なのかと思います。先日の王位戦決定局の封じ手の8七同飛成のように、すでに18歳にして「藤井じゃなきゃ、あの危険な変化に飛び込めない!」と将棋ファンを虜にしていますし、将棋愛好家は私も含めてそれで十分と思っています。ゆづさんと比べたら、刺激も面白味もない受け答えなんですけど、それは、自分が強くなるため、勝ち続けるための「自己防衛策」なのかなと。取材拒否ではなく、取材は受けてますからね。それも一つの生き方です。

ニースの話からかなり飛びましたが、ゆづさんの発言の特徴を考えてみると、自分に対してはとにかく厳しい。しかし、「厳しい」というのは、単に謙遜のスタンスを見せているのじゃなくて、もっと自分はやれるはずだ!とハードルを上げて、「羽生結弦が羽生結弦であるために!」という部分を遠慮なく、マスコミに向けて発信してくれます(それが鼻につく人がいることを、当然本人も承知していることでしょう)。

でも、他者に対して攻撃的だったことは、私の記憶にはありません。それはスケートを離れた場面では、なおさらそうですよね。コロナの対応について誰かを責めるわけでもなく、先日の24時間テレビでも、ただただ、静かに自分たちのできることをやろう、というスタンスでした。素晴らしかったですよね。

もちろん、上述した誰の対応が正解、と言うつもりはありません。若き天才たちのメディア対応もいろいろあるな・・・と改めて感じたのでした。

では、また明日!

Jun


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