「フィギュアスケートLife Extra 羽生結弦 PROFESSIONAL」(4)

「フィギュアスケートLife Extra 羽生結弦 PROFESSIONAL」(4)

Life Extra」のレビューのラストです。今回はデヴィッド・ウィルソンのインタですが、これがまたすごいボリュームです。メインは3月の「notte stellata」の話ですが、それ以外にも「あの夏へ」の振付や、FaOIのグループナンバーについて、そして、羽生さんの「セルフコレオへの挑戦」について、語りまくってくれています。

これまた全てを紹介すると大変な量になるので、涙を飲んで、厳選してピックアップしてみます。プロ転向後の羽生結弦さんを知る上で必読の「基礎資料」と言えるので、しつこいようですが、入手をオススメします。

「彼の成長に関してまず印象に残っているのは、ソチオリンピックのシーズンにユヅのために『ロミオとジュリエット』を振付て以来、初めてまた一緒に仕事をした時のことですね。あれは貴重な共同作業となりました。ユヅがいつの間にか僕の願っていたとおりの人になっていたからです。その昔、僕と振付けをやり始めた頃の彼はがむしゃらな少年でした。もっと振付けに気持ちを注ぐことができるはずだ、と僕が思っても、彼はあの頃ジャンプがすべてでしたから、振付けに関しては抜けたり、妥協する部分があったり、という感じに僕には見えました。もちろん、その後彼は他の振付師に師事して素晴らしいプログラムを創り上げたわけですが、とにかくあの最初の2年間、彼は僕との共同作業をするには成熟が足りなかった、ということです。だからあの『スワン』の振付けは楽しい経験となりました。ジャンプは最後に1つだけ、ユヅがコレオグラフィにしっかり取り組んで、彼特有のマジックを醸し出すのを目撃するのは実に心が満たされる思いでした」

皆さんご存じかと思いますが、羽生さんがクリケットに渡った最初の2シーズンのフリーはデヴィッドが振付ています。12-13シーズンは「ダムパリ」、13-14シーズンは「(新)ロミジュリ」でした。まぁ、「ソチで必ず金!」という覚悟でトロントに渡った時期ですし、しかもパトリックという絶対的な王者が君臨していて、とにかくジャンプの成功率を上げないと戦えない。コレオに気持ちを注ぐ余裕なんてないですよね。

ソチ後のフリーの振付はずっとシェイに任せるようになって、オペラ座、SEIMEI、ホプレガ、Origin、そして天と地とと、最終的には4Aを組む込むほどジャンプの難易度に妥協することなく、同時に表現も磨いていった。おそらくシェイという人は、ジャンプ中心の競技事情を理解してくれる振付師なんでしょうね。ただ、羽生さんがデヴィッドと喧嘩別れしたわけじゃなく、順位・採点に影響しないEXや、FaOIなどで関わりを維持していたことが、見事なまでにいまに繋がっています。そこまで羽生さんが見据えていたのか、あるいは当時のブライアンの「采配」だったのか真相は分かりませんが、結果的には良かったと思います。

――このショー(*ノッテ)は羽生さんのソロで始まり、グループナンバーが続く、という異例の構成だったわけですが、どういう経緯で決まったのですか?

最初に制作のディレクターから出ていた構成案は『スワン』のインストゥルメンタルでグループナンバーを作って、その中にユヅのソロを組み込む、という感じでした。でも実際に案を詰めていく段になって、ユヅが自分のやりたいことと少し違う、というような躊躇を示しました。・・・そこで次の案としては、彼のソロが終わった後に今度は他のスケーターたちを彼が空に散りばめた”星”に見立ててナンバーを作ろう、ということになりました。・・・ファンはユヅが『スワン』を滑った後は、同じ曲が繰り返されるのを好まないだろうし、インストゥルメンタル・バージョンを使うにしても歌詞入りの曲を聞いた後は物足りなく感じますから。・・・ということで構成は決まったわけですが、僕が納得できるような流れになるための音楽がどうしても見つかりませんでした。そこでオリジナル曲を発注する許可をもらったのです。依頼先はモントリオールにいる作曲家(*カール・ヒューゴ)、彼はどんなことにも挑戦して素晴らしい仕事をしてくれます。でもこの仕事に関しては、完全に彼自身によるオリジナルの曲を作ってほしいと頼んだので、彼もとても意欲的でした。できあがった曲(「Twinkling Stars of Hope」)はとてもよくて、皆大満足でしたね」

たしかに言われてみると、羽生さんが「スワン」を滑った後に、その「スワン」のインストをバックにゲストスケーターたちが登場するというのは、ちょっとテンション下がりますよね。ただの館内BGM的なチープな感じがしてしまう。

それにしても、あのスタートの構成は確かにビックリしましたよね。「内村さんとのコラボ」も驚きの演出でしたが、そもそもショーの始まりからして特別な作りでした。

――もう一つの目玉は羽生さんと内村航平さんとのコラボでしたね。あのプログラムにおけるあなたの役割とはどんなものでしたか?

「基本的には、2人がどの部分を演じるかの分担が彼らの間で決まっていたので、僕はユヅのパートの振付けをするのを手伝いました。・・・でも一つ僕の提案を採用してくれて、そこは嬉しかったです。『あん馬』で体操選手が脚をこう回すやつありますよね?あれをコウヘイがやっている間、ユヅがキャメルスピンをやったらどうだろう?と。次から次へとアイデアが湧いてきて、ほら、あのトラベリング・バタフライという技があるでしょう?ユヅはあれがものすごく得意で、10回でも続けてできるんですよ。だからやらせてみたいなと思って、もう頭の中は妄想でいっぱいになって大変でした(爆笑)。でもあの2人で技を合わせた部分は本当にうまくハマりましたね。観客も絶叫していました。あれで『2人のレジェンドの競演』という一体感が生まれました」

なるほどねぇ!と思いましたね。内村さんの技については、ちゃんと体操専門のアドバイザーの方がついていたはずなんですが、あくまでもアイスショーというフォーマットですから、フィギュアスケートの振付の「プロ」の意見って、こういう所で生きてくるわけですね。このノッテでは「体操とのコラボ」でしたけど、このような「異種格闘技」的なコラボって羽生さんの中で常に頭にあるような気がします。必ずしもスポーツ同士のコラボである必要もないので、野村萬斎さんとか?、その辺りの方は素人の私でもふと頭に浮かびます。

――羽生さんはあなたから見て、振付をする際にどういった特徴がありますか?何百人ものスケーターのためにプログラムを振付てきたご経験からぜひお聞きしたいです。

彼が素晴らしいのは、(これから振付ようとしている)曲をこちらが何も説明しないまでも知り尽くしていること。すでにしっかり研究してきていることが明らかなのです。それでいて、こちらからの提案に対してもとてもオープンでいてくれる。でも自分が違和感を持ったことに関しては明確に伝えることもできます。いつも礼儀正しく、ではありますが。要は、自分が何者であるかを知っている、ということですね。だからいろんなことを試すには前向きだけれど、いざとなれば自分のやりたくないことを見極められる。すごく良いことですよね?いつでも周りに合わせようとする人は自分が何者であるかを知らない、ということですから。それで何かを得ようとするなんて無理でしょう?僕はユヅのそんなところをすごく尊敬しています」

個人的にはここが、デヴィッドの「ゆづ評」の中で最も感心させられた部分でした。これって、スケーターと振付師の関係だけでなく、上司と部下とか、クライアントとの関係とか、様々な人間関係において、理想的な心構えですよね。あるいは、「モノを読んだり聞いたりして、それをどう解釈すべきか?どう意見を表明すべきか?」という、人と人との直接的なコミュニケーションを介さない場合でも、とても必要な知的態度のような気もします。人間には「好き嫌い」の感情があるので、なかなか容易にできることじゃないですが、これを羽生さんができるのは、スケーターとしてだけでなく、人間として成長したい、という強い意志があるからだろうと想像します。私も見習いたいですよ。

――ファンタジーでの羽生さんのコラボナンバーは、あなたの振付けではなかったのでしょうか?

「僕が振付けに関わるはずでした。notte stellataが終わる時、ユヅとも『またZoomで振付けしよう。幕張と新潟のプログラムの両方、やろうね』と話しました。・・・お互いあれやこれやで時間が取れなくて結局、やれずじまいになってしまいました。だから彼はたった一人で振付けをやったんですよ。でもね、すごく彼がかわいかったのは、幕張で会った時にとっても申し訳なさそうにして、『ものすごく緊張している、あなたに(自分の振付けを)見せるのが』って言ったんです。初日の公演では彼の演技直後に会うことができなくて、ショーが終わってからしか感想を伝えられなかったのですよ。素晴らしかった、と。特に幕張のプログラムは、僕も圧倒されました。いや、もう一つのプログラムについても言えますが、フィギュアスケートのプログラムにするにはとても難しい曲調でしょう?ダンス・ミュージック風で、もう驚異的でしたよね。本当に感心しました。それで彼に言ったのです。『もう僕の手助けなんて要らないじゃないか…』って。ユヅは僕が彼の振付けを気に入ったので、本当に嬉しそうでしたね」

――あの『If…』の最後の縦開脚もすごかったですね。

そうそう、彼、絶好調でしたよ!僕も妬んじゃうぞ、ってかんじでしたね(拗ねた風に)。『いやあ、もう本当に僕なんか必要ないんじゃないか』と思いながらみていました

前述のように、二人が「一時期少し距離を置いた」ことで、対立や衝突が減り、依存の度合いが深くなりすぎない分、お互い謙虚な態度で、相手をリスペクトできるようになったように見えます。あまりにもずっと一緒にいると、いつも近くにいて当たり前の存在なので、礼儀や謙虚さを「相手に表現すること」が気恥ずかしくなったり、端折ってしまうことがある。それが積もり積もってしまうこともあるわけで・・・。

今後も羽生さんがプロスケーターとして活躍を続ける上で、デヴィッドの力は必ず必要です。二人の関係が末永く良好なままであることを祈っています。

「それにしても日本でいろんなアイスショーが今でも開催されていて、僕は全部把握できていませんが、驚くばかりです。1990年代の北米もそのような状況だったのですが、今となっては見る影もないですね。だから日本でもスケート界やプロデューサーの方には、しっかりと見極めてほしいと思いますね。絶対にファンを甘く見てはいけません。というのもかつて北米での全盛期のことを振り返ると、テレビではスケート番組だというだけでどんなものでも人々が見てくれる、という時代があったので、提案する側は怠惰になってしまいました。同じことが日本で起こらないようにと願っています」

デヴィッドさん、すでに日本でもそれが始まっていますよ・・と。そもそもアメリカにおけるフィギュアスケート人気の衰退って、真っ当な方法で選手を育成してこなかったことと、それにプラスISUの採点のデタラメさにあるのは明白ですよ。そのレールに「日本」も乗っかっていて、羽生さんはたったひとりでそれに抗いながら、プロスケーターとしての道を選んだのです。羽生さんがプロスケーターとして活躍できるのは、彼の3Aや4Tへの並々ならぬ拘りを考えると、10年が限界でしょう。あと10年で、人気・実力ともに彼に匹敵するようなスターが出てくるのかどうか。てか、もう育成現場で逸材を発掘できてないと、羽生さんが辞めた途端に、スポっと穴が空いてしまいますよと。

なーんか、最後に暗い話になっちゃいましたけど、でも私は、「まだ10年も羽生さんのスケートを楽しめる!」と前向きに考えるようにしますよ。

では、また明日!

Jun


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コメント

  1. おの より:

    デヴィッドさんのインタビュー
    ありがとうございます
    母が入院中なので、行ったり来たりの生活で、雑誌もなかなか買えず読みたかったことが読めて嬉しいです
    しかし、羽生さんが抜けた穴が大きすぎて、何をやってもお客さんが来ません
    だって緊張感が無い試合は見ていてどうでしょうか?
    最近はダンサーさんがどうして上手いのか詳しく解説してくれてますね
    コメント欄で誰々さんのもお願いしますって書いてあったとか?
    そういう事をするのはやらない方がいいのになぁ
    あちらの推しは喜ばないと思います
    どうしても羽生さんが誉められているのが気に入らないのかな?
    まぁ注目浴びてしまうのは羽生さんが素晴らしいからなのにね

    ポストでは、羽生さんのプロ5選やってますね
    私はどれも素晴らしくて選べなかったです
    ほんとにどれも素晴らしいてす

    • Jun より:

      おのさま

      お母様の看病、ご苦労様です。

      試合の方は、JGPやシニアのB級大会がそろそろ始まる頃でしょうか。個人的に気になる選手は千葉さんと、佐藤君、山本君、三浦君ぐらいですかね。

      ダンサーさんによる批評動画はけっこう評判ですよね。「誰々さんもお願いします」って、ヤマカイさんの時もありましたかね?あるいは、漫画家の石田スイ先生に対してもそんなことあったような・・・。人間って変わらないものですね(笑)。

      プロ5選ですか・・・。パッと思い浮かぶのが、ホプレガ(17ワールド)、天と地と(20年全日本)、レックレ(16年GPF)、レミエン(21年ワールド)、バラ1(18年平昌五輪)ですかね。次点で、パリ散(14年ソチ五輪)、SEIMEI(15年GPF)、Origin(19年ワールド)、ロミジュリ(12年ワールド)って感じです。こりゃ、ほとんど10選ですね。