不測の事態に立ち向かう思考。「男子フィギュアスケート 2007-2008メモリアルブック」(リライト企画)

不測の事態に立ち向かう思考。「男子フィギュアスケート 2007-2008メモリアルブック」(リライト企画)

2008年4月19日発売。定価「1,800円」。全112ページ。

以前、ブログ読者さまからお教えいただいた雑誌です。昨年の6月7日から4回にわたってレビューしました。この雑誌がカバーしている08年のイエテボリのワールドというのは、男子シングルがルール改正によって激変しつつある時代でした。

06年のトリノ五輪ではクワドジャンプの開拓者のプルさんが勝ち、10年のバンクーバー五輪ではクワド無しのライサチェクが勝ちました。まさにその中間の時期にあたる08年のワールドでは、4回転を回避したジェフが優勝。4回転を成功させたジュベールが2位。4回転にトライしたものの失敗したジョニーが3位でした。本書では、プレカンの席で、ジェフに対してこの件を記者がネチネチ質問する様子が生々しく収録されています。

そう考えると、本書のそのくだりは、北京五輪に向けた折返し地点になる、2020年のワールド後ぐらいに、振り返ってみる方がいいかもしれません。今季から導入されるルール変更は、男子シングルにおいてクワド抑制の流れを作るのか。あるいは、よりクワド重視の流れになるのか。そして、羽生君およびチーム・ブライアンはどのような戦略で闘うのか。我々は歴史の証人になるわけです。楽しみですね!

今日の記事では、若かりし頃の羽生君の特集部分に集中したいと思います。

本書では、羽生君が中学1年(12歳)の時、07年の全日本ジュニアで3位に入ったことが衝撃をもってリポートされています。

どのエレメンツにも苦手なものがなく、スピンは柔らかい体を生かして、ビールマンスピンまで披露。しかも技術的にうまいだけでなく、速いパートもゆったりとしたパートも音楽をしっかりとらえ、見る人を引き付けてしまう。ピシっと決めるポーズ、ジャンプの前のイーグル、そしてイナバウワーと、4分間、どの瞬間も見逃すことができない、それが羽生結弦のスケートだ。全日本ジュニアでは、なんとフリーで無良崇人らを抑え、1位!総合でも3位に入り、ノービスながら全日本ジュニアの表彰台に立ってしまった。

やはり、ジャンプの高さはすでに規格外ですよね。しかも、ランディングも美しくて、スケーティングへの移行もすでに滑らか。現在の動きの基礎部分というか、原型がはっきりここにあるのが分かります。最後ちょっと疲れましたが、よく頑張りました。

つぎに奈々美先生のコメントをご紹介しましょう。

私がコーチとして本格的に彼を見るようになったのは、06年の全日本ノービス直後。まだ教え始めて1年と少しなのですが、彼はとにかく面白い選手ですね!いろいろな才能を秘めていて、これからどんなスケーターになるのか、見ていてわくわくさせてくれます。今、ジャンプはトリプルルッツまで確実に跳べるように形を作っている段階なのですが、ちょうど身長も伸びてきて、力も強くなっている時期。身体の伸び盛りとスケートの実力の伸び盛りがちょうどうまく重なって、今、とてもいい時期にいると思います。全日本ジュニアで3番に入って以降、またさらにジャンプの確率も上がっているんですよ。スピンやスケートも高く評価していただいていますが、以前の先生たちが教えてくれたものを、一つひとつ大事に反復練習して、積み重ねた結果。やれば何でもできて天才肌かな、とも思うけれど、できないものに対しては、かなりの努力をしている。自分の才能を持て余すのではなく、自分で才能を生かしていけるタイプですね。本当にどんな選手に育っていくのか、私も楽しみですが……。どうか彼には、彼自身が思い描く、羽生結弦が理想とする、なりたい選手になってほしいと思っています。

アンチは、未だに「羽生は阿部先生を捨てた」なんて言うわけですが、このコメントを読むだけでも、彼女の発言をまるで知りもしない妄想レベルの意見なのが分かります。

すでに指導し始めたこの初期の段階から、彼女は、羽生君の才能を見抜き、彼がそれを自分で伸ばす術も心得ていると見ているのです。「わしが育てる」とか「金メダルを獲らせる」なんて発想は彼女にはまるで無く、いずれ自分の元を旅立っていくことを暗示しているように感じます。つぎに、羽生君のインタも見ておきましょう。

――ついたあだ名が「ユヅシェンコ」だそうですね。

「最初に全日本ノービスで優勝したときから、友達に呼ばれるようになりました。プルシェンコが好きなので、そう呼ばれるのは結構うれしい(笑)。気に入ってるニックネームです。スピンがやっぱり好きなので……1番好きなのは、シットスピンかな」

――スケートを習い始めたきっかけは?

「最初は姉がスケートの短期教室に入ったんです。そこに僕も一緒についていきました。……始めたころの先生が、すごく厳しい女の先生で、ほんとに怖くて……。僕、毎日リンクから放り出されてたんですよ。なんでかなあ?自分なりには頑張ってたのに、先生の話を聞いてなかったみたいで(笑)」

――男の子ですから、ほかのスポーツをやりたいな、と思ったことは?

「ありました。僕は野球が好きだったんです。だから本当は野球をやりたかったんですけれど。……スケートの練習、ほんとに嫌いで、つらかったし泣きだしたいことも何度もあったから。でもスケートの試合は好きだったんです。お客さんがいっぱい見てくれる試合は、大好きだった

――試合があるから、スケートをやめなかった?

「僕の通っていたアイスリンクが、一度つぶれてしまったんです。それで遠いところにあるほかのリンクに通わなくちゃいけなかったんですが、練習時間はすごく少なくなってしまった。貸切時間もなくて、自分のプログラムもほとんどリンクでかけられない。プログラムの練習もできないから、力も全然伸びなかったんです。その時が、一番大変だったな……。それから、練習って大事なんだなって思い始めて。で、だんだん練習も好きになってきた。だからほんとうに最近なんです。スケート、楽しいんだなあって思いだしたのは」

――これからジュニアの試合にも出場していきます。目指すところは。

「オリンピック1位です!」

――ただの出場ではなく、1位!

「はい(笑)。でもまだ、僕のいいところは身体の柔軟性くらい。ジャンプの確率は、刑事君や龍樹君の方がやっぱり高いです。彼ら、全然転ばないじゃないですか!僕は、結構転ぶんですよ……。試合では難しいルッツやフリップに集中してしまうので、得意なはずのほかのジャンプで気を抜いてしまって、失敗することが多いんです。だからほかの選手のいいところを見ならって、もっとまねして、ジャンプの確率も上げていきたい。・・・もちろんジャンプ以外にも、いろいろなことを頑張りたいです。スピンももっと速く回りたいし」

――年末に出た全日本のショーなどで、また私たちも羽生選手をたくさん見られます。

「ショーに出られたのは、すごく楽しかったです。夢が一つかなったなあって感じ。僕、目立つのが、大好きなんです!だからお客さんが増えれば増えるほど、自分の力になります。またどんどん大きな舞台を目指して……頑張っていきたいです!」

私がこのインタを読んだ昨年6月というのは、もちろんNHK杯での怪我の前ですが、羽生君は、すでにこの頃から、「練習ができないこと」を「プラスに変える工夫」を実践していたのだなと感じました。

ここで語られている「アイリン」の閉鎖は、04年12月の経営的な理由によるものでしたが、その閉鎖を経験したことで、練習の重要性、試合が好きだからこそ、限られた時間で練習の質を上げることの必要性を自ら学んだのでしょうね。

11年3月の震災による閉鎖では、精力的に参加したアイスショーを「トレーニングの場」として活用したことはあまりにも有名。そして、17年11月のNHK杯での怪我以降、氷上に乗れない時間をイメトレや陸トレにあてて、粘り強く希望を捨てずに五輪本番を目指していった。

何もかもが当たり前のように揃っている環境で育った選手では、不測の事態に対応することは難しい。羽生結弦というスケーターは、才能と努力と、そして誰よりも多くの困難を経験しつつ、その困難を自らの工夫によって乗り越えてきたのだなと、改めて感じます。

では、また明日!

Jun


フィギュアスケートランキング

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村

スポンサーリンク
レクタングル(大)
レクタングル(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レクタングル(大)

コメント

  1. おの より:

    ほんとに努力家ですよね
    あまりにも難しい事をさらっとやってしまうので難しく見えないのでしょう
    羽生くんは困難に会うたび、それをプラスに変えてしまう力があります
    乗り越える力は凄いです
    ななみ先生に教えて貰って良かったですね
    選手の事を本当に思って下さる方でした
    基礎がしっかり備わっている
    羽生くんの強みですよね
    いい人との廻り合いも羽生くんの強みでしょうか?
    この先も、羽生くんは目に見えない力が彼を守ってくれるような気がしてます。
    あ、目に見える力も欲しいですね(笑)

    東京はやっと雨、台風が来ていますが災害が無い事を願います。

    • Jun より:

      おのさま

      羽生君は素晴らしい人たちとの出会いで成長し、その後、活動拠点を変えても、そこでまた素晴らしい人たちを引き寄せていく。彼にはそんな磁力があるような気がしてなりません。

      台風はウチは今のところ大丈夫です。ここ数日、比較的涼しいのは助かっていますが、どうか被害が発生しないことを祈りたいと思います。

  2. レモンパイ より:

    すごく興味深い記事のご紹介ありがとうございます。
    トリノからバンクーバーへの流れのなかの世界選手権で、4回転回避のジェフが優勝し、記者に「ネチネチ」質問されたんですか?そういう時代を、ジェフも経て来た?
    是非内容教えてください。

    奈々美先生の言葉、鋭くて、深く、広いですね。彼女も本物。羽生くんは、本人の力は勿論なのですが、本当に出会う人に恵まれて来たとつくづく思います。彼の持っている何かが、相手の最高のものを引き出すのかな、とも思います。

    • Jun より:

      レモンパイさま

      今日の記事は、ちょっと内容的に古すぎるかな・・・と思っていたのですが、楽しんでいただけて何よりです。

      奈々美先生のお人柄が分かりますよね。「私が!私が!」というエゴがまったくない。あくまでも仙台を拠点に指導・教育されることにこだわり、須本君のように「どうしても」というリクエストがある場合は、プログラムを振付する。とことん現場主義の人。羽生君も、そんな指導者の背中を見て、自身の将来のヒントにしていると思いますね。

  3. ととちゃん より:

    12歳の火の鳥、細いせいか、今以上に手足の長さが印象的で、とても伸びやかな演技ですね。 junさんが指摘されるように、幼いながら現在の原型を感じます。

    阿部先生のコメントがまた、素晴らしい。
    「 自分の才能を持て余すのではなく、自分で才能を生かしていけるタイプ」であることを、既に見抜いていたのですね。紹介して頂き、ありがとうございます。

    こうした、真髄を見極められる人が側にいたことも、羽生選手の成長を後押ししたのでしょう。指導者が自分のやり方を押し付けず、尊重するという姿勢は、なかなか難しいことだと思います。何かが起こったときに自分で
    考える思考形態は、ご家族の影響だと思っていましたが、周りの方に本当に恵まれていたのですね。

    色々な意味で、奇跡の存在だと思いました。

    ジェフへのインタも、興味深いです。記者というのは、いつの時代も変わりませんね。またいつか、ご紹介ください。

    • Jun より:

      ととちゃん さま

      羽生君自身やクリケットのメンバーに注目が集まりがちですが、仙台時代から、ご家族含めて素晴らしい人たちに囲まれて、育っていったんだなと感じます。

      奈々美先生のコメントも、どこか一歩引いて羽生君を見ている感じがあって、いずれ「バトン」を次の指導者に渡す覚悟をされているような、そんな心境も伺えるような気がします。

  4. サーシャ より:

    突然お邪魔します。
    ジェフへのネチネチ質問教えてくださいませ!!!

    • Jun より:

      サーシャさま

      何人もの読者さまから「リクエスト」がありましたので、ジェフの件というか、メダリスト3人の当時のコメントを、近日中にご紹介したいと思います。

  5. ネロリ より:

    Junさん、こんにちは!
    やっと見つけた~Junさんの記事~嬉しいです←遅いわ
    ある日突然消えたので(・д・)←こんな顔になっていました
    とにかく嬉しい~
    すみません、読んでいない記事から順番に読むのでまた来ます!

    • Jun より:

      ネロリさま

      今回の件は本当にご迷惑をお掛けしました。

      ブログ再出発当初は、色々と環境面で不具合があったので、むしろいま発見された方が、比較的快適に閲覧できると思います。

      今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。