平昌オリンピックシーズン前の17年8月、山口さんと毛受カメラマンは初めてクリケットクラブの地を訪れます。そこでの取材内容は「フィギュアスケートマガジン 2017-2018 プレシーズン」で詳しく綴られていて、本章の大半はその取材記で占められています。
当時のメディアデーの状況を思い返すと、山口さんは、BBM社のHPで「取材こぼれ話」的なものをマガジン発売日前から発信してくださっていました。中でも我々ゆづファンに衝撃を与えたのは「この記事の一枚の写真」ではないでしょうか。「ぴょん落ち」のファンの方はご存じなかったかもしれませんが、たった2年半前の話ではあるんですけど、いまのネット状況だと、軽く炎上していてもおかしくなかったかも?・・・なんて思ったりもします。
本章において、書籍にあたって、新たに書き加えられたのは、「3・『マガジン』としてできることは何か」という部分。羽生さんは、N杯で大怪我をして、GPFと全日本を欠場。マガジンとしては、1月下旬に「オリンピック開幕号」を出す予定だったという。しかし、「羽生結弦完全収録」がメインの雑誌ですから、「ネタ」が無いわけですよ。販売部からも「無理に出さなくてもいい」という連絡もあったようです。
しかし、そもそも、前号の「グランプリスペシャル」号は羽生さんが怪我をした後に出版したもので、「緊急座談会」を初収録。この「オリンピック開幕」号も座談会やゆづ振り返り号などでたっぷりのボリュームで乗り切ります。以後、「座談会」は朝日の後藤記者からスポニチの小海途神へとメンバーチェンジを経て、マガジンにとって欠かせない看板企画となりました。
羽生さんが、どんな困難に見舞われようとも、はるか斜め上をいくパフォーマンスでもってそこを何度もこじ開けてきたように、そのパワーがマガジンに携わる人たちにも乗り移ったのかもしれません。
「ピンチはチャンスになる」とか「諦めたら試合終了ですよ」とか、当人の苦労を大して想像もせずに、上から言葉だけ安易に投げつける人がいますけど、困難を迎えてからその時に頑張ればいいってもんじゃない。
羽生さんの場合は、日々ストイックに生活し、人生をスケートに捧げてきたからこそ、そこを乗り越えることができたわけだし、「マガジン」の山口さんも、そんな羽生結弦を追い続け、読者が求めるものを真摯に考えつづけてきたからこそ、ピンチの場面でもアイデアを出すことができた。結局、日々の積み重ねなんですよ。いつも頑張ってなきゃ、困難は乗り越えられません。
山口さんは、羽生さんが「団体戦を欠場する」というニュースを聞いたときに、「ああ、羽生は本当に出られるんだな」と思ったのだそうです。
自分は、正直、羽生さんが現地空港に降り立って、サブリンクに姿を見せるまでは分からなかった部分はありました。さすがそこはプロの勘だなと思います。
さあ、いよいよ平昌オリンピックです。なんとか4CC開幕前に本書をすべてご紹介できそうです。
では、また明日!
Jun
コメント
やっと読み終えました。
今日の記事に当たるクリケット取材からは飛ばし読みせず じっくり読んでいったため、時間がかかりましたが、あのシーズンを改めて振り返ることが出来ました。
この本で 公開練習の密度の濃さを再確認し、これほどのことが出来るのは、羽生選手だからこそ、と改めて思いました。
また、辛い思い出になったN杯以降、全力でファンに寄り添ってくれたマガジンの姿勢には 本当に救われました。待ってろ平昌、必ず行くから は、これ以上ない名コピーだったと思います。junさんが仰るように、時間をかけて羽生選手を追ってきた山口さんだから生み出せた言葉であり、企画でした。気持ちがあるから伝わるものがある…山口さんがフィギュアに携わってくれて良かったです。
ととちゃん さま
すばらしい!読了されましたか。
山口さんの仕事は、間違いなくフィギュアスケート報道を変えましたよね。発言を「そのまま文字化するスタイル」は、他社の記者も模倣するようになりましたし、記者がTwitterで選手の公式練習の様子を伝える描写術も、山口メソッドを踏襲していると言えます。
4CCやワールドでも、特にペン記者たちはどのような報道を行うか注目ですね。