『奇跡なんて、起きない。』(11)18年平昌オリンピック

『奇跡なんて、起きない。』(11)18年平昌オリンピック

2017年夏のトロント公開練習で、ヘルシンキ世界選手権で「奇跡のV」といわれたことをどう思うか、羽生に直接聞いたことがあった。彼はその時、「奇跡も何も、そういう練習をしていたので」とさらりと答えている。その時に思ったのは、「奇跡と呼ばれるような偉業も、結局は、日常の努力と行動の延長線上にある」ということだった。

山口さんは、記者としてオリンピックを取材するのは、平昌が初めて。そして、この五輪を境に報道の世界から見を引くことを決めていたといいます。羽生さんを初めて見た、15年国別での代々木第一体育館。超満員の客席。熱気。ファンがつくり出す温かく能動的な雰囲気。アイスホッケーもそんなスポーツにしたい。そう思うきっかけとして、間違いなく、フィギュアスケートを取材してきた影響があったのだそうです。

NHKの映像はなぜか埋め込められないので「こちら」からどうぞ。

韓国開催ということで、日本のマスコミは記者をバンバン現地に派遣していたかというと、そんなことはまったくなく、オリンピックは「組織委員会が発行したIDを所有していないと取材できない」とのこと。おそらく、ペン記者は各社精鋭のみの派遣に限定していたのでしょう。

フィギュアスケート競技は、2月9日に団体戦が始まっていたので、記者たちはまずは江陵アイスアリーナで取材。2月11日に羽生さんが現地入りするという情報があり、しかしその日は団体戦2日目とぶつかっていたので、各社記者を割り振って、「空港取材組」は高速鉄道で仁川空港に向かいます。空港に押し寄せた取材陣は、およそ「200人」。NHKの映像からも分かるように、係員の語調が強くて、相当な混乱ぶりが窺えます。この時の様子を、山口さんはこう回想しています。

会見用スペースは阿鼻叫喚の世界だった。羽生に1センチでも近づき、声を拾おうと、記者が一方向に向けて重力をかける。僕はたまたま羽生に近い前方の場所をキープできたが、背後からの「圧」は相当に危険なレベルだった。頭上をものすごい勢いでテレビカメラが通過し、背中には別の記者が覆いかぶさってくる。冗談抜きで、ケガしてもおかしくない状況だった。

NHKによる「初練習の映像」は「こちら」から。4Tと4Sは軌道確認に留めていますが、身体はよく浮いていて、いまにも跳びそうな雰囲気はありました。むしろ、得意の3Aの方が軸が傾いていて、トロントではジャンプの本数を相当制限していたのだろうなと想像できます。

記者会見の映像は「こちら」。なんと23分もあります。この映像をフルで見た記憶はあったようななかったような・・・。

では、また明日!

Jun


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コメント

  1. ととちゃん より:

    仁川空港に羽生選手が現れて初めて、平昌五輪が始まったと感じたことを思い出します。

    このときの羽生選手のオーラ、また記者会見での 心を定めた人が持つ清々しさには目を見張るものがありました。後に体操の内村選手が、「金メダルを獲るオーラを纏っていた」と述懐していましたが、同じアスリートとして分かるんでしょうね。

    映像を貼って頂き、当時を懐かしく見返しました。本番の前にこんなに長い記者会見をするのはエネルギーを消耗することなのに 堂々と対応する姿を見て、改めてこの人は王者だなと思います。この本にある登壇者側から見た写真は初見で、注目度の高さを再確認しました。

    • Jun より:

      ととちゃん さま

      仁川空港で、グラサンの現地武装警察に両サイドをガードされての登場は、なかなか強烈なインパクトでしたよね!

      オリンピック関連はけっこう映像がしっかり残っていて、私も懐かしく視聴することができました。

      他方で、民放が絡む大会のYouTube動画がことごとく潰されているのは、納得いきません。そういう「古い発想」が局の信頼を損ねていると思わない所に、日本のテレビ関係者はつくづく昭和脳だなと感じます。