少し空きましたが、引き続き、『レンズ越しの羽生結弦』のレビューです。
2014年2月14日。羽生さんがソチ五輪で金メダルを獲得したとき、小海途良幹カメラマンはスポニチ大阪本社でプロ野球の阪神タイガース担当カメラマン(虎番)として多忙な日々を送っていたそうです。小海途カメラマンがフィギュアスケートを取材するのは、その3年後の17年2月に韓国で行われた四大陸選手権ですので、まだまだ先の話です。
この章では、1983年に三重県津市で生まれた小海途さんの生い立ちが語られていきます。小中学校ではバスケットボールに熱中し、高校からはお父様の影響で野球部に。高校2年のとき、上級生の思いつきで「全員丸刈りにして甲子園を目指そう!」という号令がかかったものの、小海途さんはこれを拒否して退部。小学生の頃、バスケとともに楽しむことの多かったサッカーをやるために、愛知県内のクラブチームに加入。早稲田大学人間科学部スポーツ科に入学後、体育会のサッカー部への入部を希望し、セレクションを通過したものの、「『サッカー部』の所属歴が無い人間は入部を認められない」と入部は叶わず。
結果的に大学時代は、サッカーサークルに所属しつつ、スポーツトレーナーを目指してスポーツジムでインターンで働くなど順調に経験を積んでいきます。そのインターン先のジムから内々定をもらったものの、卒業間近の4年生の12月になって突如内定取り消しとなり、1年留年することになります。
そこで、ジムでのインターン時代に知り合った講談社のカメラマンに相談すると、「カメラには興味ないの?」と、フィルムとデジタルカメラをプレゼントされ、様々な写真を撮りながら世界を旅します。もともと美術が得意科目だったこともあり、カメラの世界に惹かれ、これまでの生活の一部とも言えたスポーツの世界にカメラマンとして関わっていこうと二度目の就職活動へ。スポニチと日刊スポーツの資料を取り寄せます。
ちなみに、早大時代に「eスクール」の授業準備のための学生アルバイトで働いていた際、当時受講生の一人だった中野友加里さんを頼って、練習風景を撮らせてもらったそうです。その時、村主章枝さんの写真も撮影しています。時は2006年、トリノ五輪で村主さんは4位に入賞し、彼女が日本女子でトップ争いをしていた時代のことです。就職結果は、スポニチが内定、日刊が補欠ということで、スポニチに入社することになります。
このときの合否によっては、フィギュアスケートの写真報道の勢力図も大きく変わっていたかもしれない。
著者の田中充さんによるこの記述は、簡潔でサラっとした内容のように見えます。ただ、先取りであえてここで書いておきますが、「決意表明」会見(305頁)の部分でこう書いているんですね。
一部メディアが、羽生のプロ転向を朝刊で報じていたが、小海途は「そんな単純なことではない。本人の言葉を聞くまでは、フラットにいよう」と意に介さなかった。
この「一部メディア」って補欠採用を出した社のことですからね。まぁ、ここ最近は「関係改善」しているようないないようなって話になってますが、まぁ、スポニチで良かったね!としみじみ思います。
小海途さんは「人とは違う写真を撮りたい」という志を秘めてスポニチに入社しました。しかし、「神」と評されるほど彼の写真が注目されるようになるのは、10年以上先の話で、そこまでは苦難の道を歩むことになります。
では、また明日!
Jun