宇都宮直子著『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』(1)

宇都宮直子著『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』(1)

2020年1月17日発売。780円+税。

山口さんの本と比べると、薄いし字も大きいし・・・と思いつつ、前から読んでいきました。

第1章に登場するエドゥアルド・アクショーノフというのは、エテリ組が所属している「サンボ70」の「総務担当副部長(教頭)」というポストの方。一言でいって、話は面白くないです。というか、情報が薄くて、ロシアまでわざわざ出向いて、この内容なのか・・・と、ちょっとガッカリ。

第2章の都築章一郎先生は、もちろんみなさんご存じですが、この章はほとんど私の知っている内容。都築先生が指導者になるまでの歴史を駆け足で振り返りつつ、佐野稔さんを指導していた頃のお話が中心。ぜんぶ知っていて、これもガッカリ。

この本、大丈夫か?・・・と、ベッドで寝そべりながら第3章の、アレクセイ・ミーシン先生の章に入ると、「なにっ?」という感じで、一気に目が覚めるような、知的好奇心を駆り立てられる内容。この章は抜群の面白さですね。ミーシン先生の発言をすべて引用したいのですが、それでは芸が無いので、少し端折ります(66~67頁)。

羽生の話をするとき、ミーシンはどこか嬉しそうだった。とことん褒めた。「良い」を何度も繰り返し、使った。

「羽生結弦。そうですね。彼はすごく良い子です。もうスーパーに、ウルトラ良い子です。本当に、本当に良いです。両手を上げるくらい、完璧です。天性のものを持っています。エッジワークも素晴らしい。優れている。本には、どうぞそう書いてください」

ミーシンは技術面を大切に考える指導者である。ならば、羽生の表現力はどうか。優れていると思うか。彼は、笑った。楽しそうに言った。

「どうお答えしたら、いいんでしょう。あの、それって、まるで『ミーシン先生、太陽は温かいですか?』と訊くのと同じだと思いますよ」

急いで続ける。「申し訳ございません。愚問でした」。彼はまた笑って、言った。

「大丈夫です。全部、許しましょう」

いいキャラしてます。ここを読んだだけで嬉しくなっちゃいますよね。やっぱり、世界トップレベルの指導者の羽生さんへの見方というのは、こうなんですよ。あのエテリも、「トリノファイナルでの記念撮影」で、羽生さんと記念撮影して嬉しそうにニンマリしてたじゃないですか。超閉鎖的コミュニティの日本のフィギュア村だけが異常なんですよね。

もうひとつ、ご紹介しましょう。「才能のある子どもたち」はどこからやってくるのか?どうやって発掘するのか?という質問に対して、ミーシン先生は「間髪入れずに、大きな声で答えた」とそうです(61頁)。

才能とは見逃しようのないものです。たとえば、干し草の入った大袋があったとします。その中に針が入っていたら、たやすく見つかります。ちくんと刺すわけですから。

それと同じで、才能は必ず見つかります。もっと言えば「見つける」んじゃなくて、「探す」んじゃなくて、「向こうから見えてくる」。たくさんいる中から、ぱっと目に飛び込んでくるんです。

昔は「コーチが素晴らしい子を見つけた。すごいなあ」と言ってましたが、まったく違います。才能というのは見つからずにはいられない、見つけられずにはいられないものなのです。

干し草と針の話が始まって、「その中から針を探すのたいへんじゃね?」と思いながら字面を追っていたら、なるほどね・・・。干し草の中から目で針を探すのはそりゃ大変です。でも、「ちくんと刺す」ぐらい痛いから、針の存在って分かる。針が刺さって「痛い」というのは、誰もが感じる感覚です。

このミーシン先生の言葉を、私なりに考えてみると、フィギュアスケートの天才、本物のスターって、フィギュアスケートのルールや採点の知識や、フィギュアスケーターとしての競技経験や、あるいはスケート指導者としての実績を駆使して「探さなきゃいけない」ような存在じゃない。玄人が「このスケーターは凄い」という選手って、実はたいしたことないのだと。羽生さんって、まさに「誰が見ても、ちくんと刺す」ような、そんなスケーターですよね。その他のスケーターとは、それこそ「干し草と針」ぐらい違う。

ウルマノフもヤグディンも、プルシェンコもそうです。プルシェンコは、私のところに住み込んでいました。お弁当を作って、彼の実家に届けたりもしました。ああ、そう言えば、彼は新入生のときにいじめられていましたよ。ウルマノフとかヤグディンに。ビールマンスピンを回れば回っただけ小突かれるとか、殴られるとか。そういった感じのことだったらしいです。

プルシェンコが立派だと思うのは、一切告げ口をしなかったことです。私がそれを知ったのは数年後のことでした。彼のお母さまから聞きました。

少し話が逸れましたが、プルシェンコは、私が見つけたのではありません。コーチの知名度が上がってくると、自ずとたくさんの子どもたちが集まるようになります。いろんなところから連れてこられて、コーチに託されるのです。彼はその一人でした。

まさに、「チーム濱田」の門を叩いた紀平梨花ちゃんのように、有名なチームには才能あるダイヤの原石が続々と集まってくるのでしょう。もちろん、才能のある子が大成するためには、本人の努力はもちろん、環境だったりコーチの指導力も重要になってきます。

最後にもうひとつだけご紹介しましょう(65頁)。

ロシアには、長く続くバレエやクラシック音楽の歴史があります。そういうものが、フィギュアスケートにも受け継がれています。

日本にもありますね。歌舞伎とかいろいろな伝統文化が。ロシア人だって、才能があるわけです。美しく踊ったり、音楽を奏でたりする才能がね。

なんだ!例の「論争」に答えを出してくれてるじゃないか!と思いました。「フィギュアスケートは伝統芸能になるか?」という問いは、実は、問題設定からしておかしい。だから羽生さんは「フィギュアスケートを伝統芸能にする」とは言ってないのです。

「美しく踊ったり、音楽を奏でたりする才能」と「それを長く受け継いできた歴史」。それが、フィギュアスケートの「美的なるもの」にも影響を与えているのだと。日本には、伝統芸能に親しみ、それを「美しい」と思える土壌がもともとあるじゃないかと。

だから、SEIMEIは、羽生さんにしか演じられない、すでに質の部分では、日本の伝統芸能のエッセンスがたっぷり詰まった内容として成立している。「何シーズンも繰り返すかどうか」というのは、それを極めるための「方法・手段」にすぎない。

おそらく羽生さんは、何シーズンもプログラムを演じつづけることへの「批判」に対して、「自己防衛的」に伝統芸能やオペラやバレエについて言及したのだと思います。

でもね、「もうすでにSEIMEIは伝統芸能なんだよ!」と、私は声を大にして言いたいですね。

では、また明日!

Jun


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コメント

  1. Fakefur より:

    ミーシン先生の引用ありがとうございます。
    太陽は温かいか?の問いといい、干し草の中の針といい、先生の比喩は奥が深いですね。ドストエフスキーの小説によく出てくる長老との問答を思い出します。ロシアの大地の懐の深さと泥臭さが脳内に広がりました。

    プルさんが初年度に虐められていた話。出る杭ならぬ、とんがった針は周囲からたたかれるのですね。アナザーストーリーズで「どうやってあの若造(羽生さん)を打ちのめしてやろうと、ワクワクした」と語っていたのを思い出します。JSFやISU の大人たちが、丸腰のアスリートの背中から刺すような虐め方と比べると、プルさんの戦い方はアスリートとして全くフェアな正攻法です。

    知識があろうがなかろうが、経験があろうがなかろうが、万人をちくんと刺す針。
    ライトなフィギュアファンだった私はなんの気なしに見たニースのロミオに心臓を打ち抜かれましたが、何百万もの人が、羽生さんのプロを観た瞬間に胸を「刺さ」れ、地上波テレビ観戦に飽き足らず、ライストを追い、ブログを書き、海外の会場まで足を運び、羽生さんの一挙手一投足をツイッターで拡散し、イラストなど二次創作へのインスピレーションが生まれています。これこそ、羽生さんが希代のGOATスケーターであり、フィギュアスケートというスポーツを超えたスーパースターである証拠でしょう。(本人が望む望まぬに関わらず・・・)
    そして「刺さ」れた我々は、羽生さんが自らを厳しく律し、スケートに全身全霊を捧げる演技を見ると、勝とうが負けようが、応援せずにはいられないのです。
    今日はこれから、平昌と4CCのSEIMEIを堪能しようと思います。

    • Jun より:

      Fakefurさま

      なるほど、ドストエフスキーですか!ご教示いただきありがとうございます。私も、自分の教養を高めるために、読まなきゃいけませんね。

      プルさんのエピソードは印象的でした。この人、やっぱりかっこいいし、そりゃ、羽生さんがリスペクトするわけです。

      この「干し草と針」という例えは、うまく言うもんだな!と感心しました。フィギュアスケートに限らず、あらゆるジャンルにおける「スターの定義」として成立しそうです。