この本、後半に進めば進むほど、どんどんテンションが上がってきて、背中に追い風を受けるような疾走感を覚えつつ、一気に読み終えてしまいました。特に、最後の3章は時間の過ぎるのも忘れて、あっと言う間でした。
都築奈加子さんは、都築先生の娘さんで、アイスダンス選手として全日本選手権を6度優勝しています。川畑和愛ちゃんが昨シーズンまで都築先生のチームに在籍していたので、JGPシリーズには奈加子コーチが帯同していました。
奈加子さんは5歳でスケートを始めて、小学3年でいちどスケートをやめています。しかし、中学1年のときに新松戸でルイシキンと出会って、スケートを再開しました。
ルイシキン先生と会わなかったら、私はアイスダンスをやっていません。温かくて、すごく優しい先生でした。いちばんの恩人です。音楽とスケートを一体化させる大切さ。ジャンプだけではない、スケートの技術。スケートそのものを教えてもらったと思っています。
先生はメソッドをすごく意識して、父や私に伝えようとしていました。「選手を育てるためには、優れたメソッドがなければいけない」、「世界チャンピオンになった選手は、こうこれこういうことをしてきたから、勝てたんだ」。持っているものを惜しみなく、分け与えてくれたんです。心から、感謝しています。
実は、私はスケートよりも勉強の方が好きでした。でも、教えてもらっているうちに「アイスダンスをやりたい」と、強く思うようになりました。先生に誘われたんです。世界選手権に出場できたのも、ルイシキン先生がいたから、先生が連れて行ってくれたと思っています。
中学3年生まで新松戸で練習を重ねて、1991年、16歳の夏、奈加子さんはソ連に赴きます。日本で初めてスケート留学を果たしたのが、彼女でした。
ルイシキンの家に下宿し、リンクに通う日々。ロシア女子の競争の激しさは、今でこそ雑誌やテレビでの「サンボ70」の紹介などで知られる所ですが、いまから約30年も前、まだソ連と呼ばれていた時代に日本人の女子スケーターがどのような生活を送っていたのか。まさに本邦初公開の貴重な内容なので、ここはぜひ本文をお読みいただきたいです。
一方、ソ連崩壊によって、スケート指導者への国からの手厚いサポートが無くなり、優秀なコーチが国外に流出します。それに伴い、奈加子さんも、18歳~25歳をアメリカ、26歳~29歳をフランスで過ごします。そして、アメリカでは、あのタチアナ・タラソワに師事します。
当時のタラソワさんの教え子には、ヤグディンや、シェイリーンもいて、アシスタントコーチとしてモロゾフもいたそうです。
タラソワ先生は、とても器の大きな方です。情熱的で頭がいい。芸術家でもある。指導も、他の先生方とはまるっきり違いました。比べものにならない。足りないところをパパッと仕上げてくれるんです。すでに一流の選手をさらに引き上げるのだから、レベルが違いますよね。オリンピックのメダルを獲らせるための指導をするのが、タラソワ先生なんです。
・・・タラソワ先生は、自分が何を伝えようとしているのかを察知できる人じゃないと、「馬鹿なの?」「さようなら」みたいになってしまう。だから、冷たいと感じていた人もいると思います。先生は頭の回転の速い人が好きでした。ヤグディンと良い関係だったのも、彼がすごく頭の回転が速い人だったからじゃないかな。もちろん、才能も素晴らしい人でしたが。
・・・タラソワ先生は素晴らしかった。素晴らしい指導をしてくださったのだけれど、私たちが未熟で、結局、順位を上げることができませんでした。問題は、私たちにありました。タラソワ先生には、感謝しかありません。
みなさんご承知のように、日本代表としてオリンピックに出場するためには、日本人とカップルを組まないといけません。奈加子さんは、アメリカから帰国して、半年後にフランスに渡ります。ロシア人パートナーとカップルを解消し、日本人パートナーとオリンピックを目指すも、持病の椎間板ヘルニアによって練習ができず、引退します。
いまでも日本のカップル競技の選手は、資金・環境など様々な理由により、競技を続けるだけでも大変です。時代が悪かった・・・と言うしかないでしょうか。
ところで、2019年3月、さいたまスーパーアリーナで、奈加子コーチはタラソワさんと再会を果たします。
まったくの偶然。まるで神様が用意してくださったかのよう。私の席はISUの隣だったんですが、後方から「アーッ!」という声が聞こえてくる。「試合中なのに、うるさい人がいるなあ」と思っていたんです。
で、休憩時間に知人のところへ挨拶に行ったら、すぐ横にタラソワ先生が座っていらした。「うるさい人」は先生でした。かなり情熱的に解説をされていたみたいで。
私が、世界ジュニアに選手を出しているのをご存じだったんです。「ロシアにいらっしゃい」とも仰った。嬉しかったです。本当に運命のようでした。
ロシアのライストで羽生さんの演技を見ている方には、タラソワさんのあの名調子はお馴染みでしょう。たまアリのワールドでもあのハイテンションで絶叫していたのでしょうね。パワフルな女性です。
明日はタラソワさんの章をご紹介します。羽生さんの話もしっかり出てきますので、お楽しみに。
では、また明日!
Jun
コメント
奈加子コーチと川畑さんのキスクラは、目に麗しくて大好きでした。今シーズンから樋口コーチになったのは、何か事情があったのでしょうか。ずっと見ていたかったので残念です。
都築奈加子さんに感じていた品の良さが どこから来るのか、この本で少し分かった気がします。生来勉強好きで、厳しいレッスンにも大変な生活にも負けずに取り組んだ芯の強さがあるから、凛とした美しさを感じるのだな
と思いました。タラソワも、奈加子さんの美点を良く見ていたのでしょうね。
奈加子さんがヘルニアに罹らなければ、日本のアイスダンスはもっと違う発展を見せたかも知れないと思います。シングルですが、川畑さんが奈加子コーチから美しいスケートを引き継いでいることが救いです。
ととちゃん さま
川畑さんのコーチ変更について、詳細は分からないのですが、いま世界ジュニアに彼女は出場していて、樋口先生&太田コーチから良い影響を受けているのは分かります。ただ、樋口先生といえばクリケットですし、私は実は「その先」があるんじゃないかと密かに期待しています。
もちろん、都築先生のチームには青木さんがいて、彼女も怪我から復調していますし、もっともっと活躍してもらいたいですね。
都築先生と奈加子先生は見た目は似ていらっしゃらないので、お母さんの方に似たんだろうと勝手に思っていたのですが、前日の佐野稔さんの動画を見たら、若い頃の都築先生は貴乃花光司さんに似ていてびっくりしました。
奈加子先生は勉強のほうが好きだったんですね。羽生さんといい、宮原さんといい、フィギュア選手は勉強もできる人が多いですよね。闇雲に筋肉を鍛えるだけでなく、頭脳を使いながら、身体を壊さないギリギリの上限で練習を積まないと一流選手には辿りつけない、非常に繊細で厳しいスポーツだと思いました。
Fakefurさま
川畑さんの「ドナウ」を見ていても、あの格調高い動きは、やはり都築先生や奈加子コーチ直伝の「ロシアの伝統」をたっぷり吸収しているからこそだと思います。いまのロシアっ娘よりも、よっぽどロシア的なスケートを体現してくれてますよ。
ジャンプにミスが出た後のリカバリーの計算なんかは、頭をフル回転させないとできない芸当ですから、それを大舞台でも実践できている、羽生さんや紀平さんは、間違いなく頭の良い選手だと、個人的には思います。
スケーターに要求されるものはどんどん増えているのに、ジャッジは相変わらずアレですからね・・・。この話をし始めると、愚痴大全集になってしまうので、やめておきましょう。