対談記事の第1回は「こちら」。
まず、MOTHERというゲームについて補足すると、1作目がファミリーコンピュータで発売されたのが1989年7月でした。ファミコンは、いわずと知れた任天堂のハード機ですけど、任天堂から発売されたRPGとしては「ゼルダの伝説」(1作目は1986年2月発売)はディスクシステム、そしてファミコンソフトのRPGでは、この「MOTHER」が「元祖」的存在という位置づけです。
そもそもファミコン以降の日本のRPGは、ドラクエとFFという二大ゲームがあって、そこに女神転生や桃太郎伝説など様々なゲームが参入していきました。基本的にRPGって「剣と魔法の世界」の物語なんですけど、「MOTHER」は現代劇で、アメリカの田舎町を舞台にして、子どもが超能力に目覚めて冒険していくという、独特な世界観で構成されています。
MOTHERが発売された89年を思い返すと、当時の私は、その1年前に発売されたDQ3とFF2という2大ゲームをこれでもかとやり込み、データが消えてもめげずにまた最初からやり直し、両作の続編が翌90年に出るということでソワソワ・悶々とする日々を送っていました。リアルタイムで「MOTHER」を買う余裕は無かった記憶があります。というわけで、大人になってから「1」をやって、「2」と「3」はまったくやってない、という感じです。
ぼくからすると、ジョニーさんも羽生さんも、「この人間は、なにかしたがってるんだな」というところでは同じなんですよ。・・・それは、お相撲を見ようが、棒高跳びを見ようが、「この人はこういうことしたいんだろうな」っていうことは、競技のルールとか専門知識抜きに伝わってくるんですよ。
糸井さんのこの当時の見立てに、「なるほど!」と思わず膝を打ちました。獲得したタイトルの数や、CDやレコードの売上数とは別の領域の、表現者としてのギラリとした才能の持ち主ってやつですよね。羽生結弦さんの場合、その後に結果も出しているので脇に置いとくとして、プロ野球で言う阪神タイガースとか、相撲で言うと舞の海とか、邦楽で言うとブルーハーツとか、将棋だったら羽生九段や藤井八冠ではなく、私の大好きな「藤井猛九段」とか、唯一無二の独特な発想力の持ち主ゆえに熱狂的なファンがサポートしているという所でしょうか。
おそらく、次回以降に「震災」の話が出てくると思いますが、羽生結弦というスケーターがなぜあそこまで結果を出せたのかを考えると、「東日本大震災」という出来事が欠かせません。「東北を背負って立つ!」という責任感が、彼がその後、現在にいたるまでストイックな生き方を貫ける原動力になっている気がします。
もちろん、「震災があったから」という話にはならないと思いますけど、にこやかな表情のお二人の写真に添えられている、「いつ世界が終わっても。」という一言だけ見ても、こりゃ、ただでは終わりそうにないぞ・・・と。
そして、第1回対談で語られたキーワードが赤い文字で示されていますが、まだあと11回もあるんですか・・・。ワクワクしますね。続きが待ち遠しいです!
では、また明日!
Jun