糸井重里さんとの対談<第3回>「被災地からの声を背負って」感想

糸井重里さんとの対談<第3回>「被災地からの声を背負って」感想

対談の第3回は「こちら」。これまでの2回分の私の感想はこちらで<第1回><第2回>。

東日本大震災が起こってから、ぼくは、ひとりのアスリートであるという以前に、「被災地の人間」として、すごく注目されるようになったんです。当時は、ぼく自身、実力がだんだん伸びていって、4回転も安定していった時期でもあったので、ようやく世界でも戦えるようになってきた、っていう自負があったころだったんです。だからこそ、そのころは、フィギュアスケーターとしてではなく、「被災地代表」ということを背負って、自分の演技や表現以外のところで、たくさんの人たちからなんとなく応援されている、ということに反抗的になってしまうこともあって。

当時、「被災者代表」として見られることに複雑な気持ちだった、という主旨の発言は目にしたことがあります。ただ、それが「世界で戦えているという自負」という理由から、そのような見方に「反抗的になった」という心境は、今回初めて吐露したのではありませんか?

そして、ニースでの演技によって、周囲からの期待・支えというものをポジティブに受け止めることができたと。お母様から折に触れて苦言を呈された件は私も承知してはいるんですが、それにしても、初の世界選手権のSP後の大切な時間帯にピシャっと言えるのは、よくよく考えたらすごいことですよね。奈々美先生はそこまで立ち入るような指導方針じゃなかっただろうし、その後のブライアンやトレーシーなんて言わずもがなって感じですから、母だからこそ・・・という感じですか。でもやっぱり、できないですよ。

ワールドで3番に入ったという結果はもちろん羽生さんにとって大きな自信になったんでしょうが、周囲の期待・支えを力に変換できるようになったことは、その後の、五輪連覇に至る「修羅の道」を歩む上でも大きな意味があるように思えます。

ところで、この類の話は、「才能か?努力か?」という論争にも繋がる部分があって、例えば藤井聡太八冠は自身のことを「環境派」と答えたことがあります。「才能がある」なんて発言したら叩かれる。「努力したから」なんて言っても自画自賛と受け取られる。でも、「環境派」とは言っても、八冠が「(幼少期は別にして)誰それのおかげ」ということを具体的に語ったことはほぼ皆無なので、「論争回避策」の一方法なのかなというのが私の勝手な解釈です。

羽生さんの場合、お母様が「環境」の存在を指摘した形になりますが、彼がそれを受け入れて、現在もなおストイックな生活を堅持できているのは凄いことだと思います。親子の関係であり、どこか師弟のような関係でもある。羽生さん、糸井さんのことをずいぶん信頼して話したのだなぁ・・・ということもビックリでした。

では、また明日!

Jun


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コメント

  1. おの より:

    こんにちは
    お元気になられて良かったです
    私は疲れはててしまいました(笑)
    ちょっとお休み貰って休養取っていました
    糸井さんとの対談は面白かったですね
    流石だと思いました
    賢い人の対談はしょうもない話題があったとしても、聞き方が違うと思います
    前から糸井さんは羽生さんを認めていました
    アンチがいることにびっくりしてました
    それだけ完璧であんないい子にアンチがいるはずないと思ってたのかな?
    完璧だから、そこを妬ましく思う人がいるんです

    写真で見ても糸井さんも羽生さんも楽しそうでしたね
    分かってくれる相手には、ついつい色々話してしまうんじゃないかな
    おげんさん、光一さんも良かったけど、糸井さんとはまた対談してほしいですね

    • Jun より:

      おのさま

      風邪自体は治っているんですけど、喉の痛みが残っているので、改めてお薬を出してもらいました。今回の風邪はかなりしつこい感じです。

      矢口カメラマンのお写真の素晴らしさも相俟って、今回の対談の「書籍化」を願う声があるのも納得ですよね。

      知と知のぶつかり合いでありつつ、でも、お互いに対するリスペクトが根本にあるので、読み手もお二人の発言を安心して咀嚼できるわけです。プロ転向後、超一流の方々との対談を読む機会が増えて、本当に喜ばしいですよね。

      アンチかどうかともかく、まぁ、人間、好き嫌いあって当たり前だし、いろんな意見があっていいと思うんですよ。でも、ネットで匿名だからと言って、限度・節度が分からない人がごく一部いるのは残念ですね。私は、なるべくそーいうものは目にしないように心がけています。そーいう意見に脳のリソースを一瞬でも割かれるのがもったいないし、時間の無駄なので。