糸井重里さんとの対談<第4回>「『MOTHER 2』で言うと」感想

糸井重里さんとの対談<第4回>「『MOTHER 2』で言うと」感想

対談の第4回は「こちら」。ここまでの3回分の感想はこちらで<第1回><第2回><第3回>。

糸井「すごく強いんだけれども、邪の剣、妖刀、みたいなほうに行ってしまうと、やっぱりどこかで負けちゃうじゃないですか。だから、強さや技術だけじゃなく、人としても変化していかなきゃいけない

羽生「たしかに、強くなることだけを最優先にしていくと、疎かになることが増えていくだろうなっていうのは感じます

MOTHERシリーズは、私は「1」は誰かのプレイ動画で見たことがあるんですが、「2」はたぶん見ていないはずなので、このゲームの細かい部分には触れられません。ただ、二人のやり取りの中で、「名刀と妖刀」という話から、「強さだけを求めるとどうなる?」という人間性の部分に話が及んでくると、いろいろと考えさせられるものがありました。

ゲームに限らず、学校の勉強でもスポーツでも音楽でも何でもいいと思うんですが、自分が上達していくと、どんどん日々のトレーニングから無駄な部分が削ぎ落とされていって、「最適化」されていく。その「最適な方法」は、誰もが再現可能であると錯覚してしまうこともある。すると、その錯覚によって、「できない人」の気持ちが分からなくなる危険性があるんですよね。

「なぜあなたにはできないの?」と直接それを口にするなら実はまだマシな方で、大した人間でない私でさえ、何も語らずに心の中で密かに「できない人」を見下してしまっていたこともあり、それは恥ずかしいことだな・・・と、結局自己嫌悪に陥ることもありました。「できない人」の立場を理解して、その人の目線で何かをアドバイスできなきゃ、自分の力なんて何の価値も無いのだと。

「できること」「強くなること」というのは、ゲームの世界はともかく、結局、「環境のおかげ」「幸運だった」という所に落ち着いてきます。強くなれたのは環境のおかげ。ならば、それを社会に還元しなければ、強くなった意味がない。とは言え、それを人に強制するのもどこか違う気もする・・・。

世の中には、竹中平蔵さんみたいに70過ぎても「弱者は強者の足を引っ張るな」なんて言う人もいますし、結局、人は人、自分は自分ですよね。自分は自分の思う美学に従って行動したいなと改めて感じさせられました。

では、また明日!

Jun


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