他にも途中読みの段階の本が何冊かあるんですが、本棚の整理の最中、買ったままになっていた倉山満さんの『桂太郎――日本政治史上、最高の総理大臣』を読みだしたら止まらず、一気に読了しました。
さて、著者はなぜ桂を「日本政治史上、最高の総理大臣」を見ているのか?「はじめに」にはこうあります。
なぜ、桂太郎を描くのか――。それは、今の日本に求められる宰相だからです。桂の何がすごいのか。まず、日英同盟を結び、未曽有の国難である日露戦争を勝利に導きました。特筆すべきは「高平・ルート協定」です。これによって、日本はどの国にも滅ぼせない国となったのです。さらに、日本を二大政党制の国にしようと、余命いくばくもない体で奮闘し、道筋をつけました。国民の怒りを買ってでも、しなければならないことを断行しました。それが何かを、その後の日本人が忘れたから、大東亜戦争で敗れたと言っても過言ではありません。
桂太郎は、長州藩出身で伊藤博文や山縣有朋よりも下の世代です。本書の第一章・第二章は、彼の上の世代の元老たちとの人間関係がかなり詳しく描かれていて、私のような世界史で大学受験を突破した人間にはなかなかページが進まなかったのです。しかし、日露戦争に向けての話は第三章からで、がぜん「世界史選択」の人間にとって面白くなるんですが、率直に言って、戦争を始める前も、戦争に勝つことも、戦争に勝った後も、いかにたいへんな作業なのか・・・と痛感しましたね。
とにかく、桂のやることは、第一次桂内閣成立後も、調整、調整、調整の積み重ねです。藩閥政府の長の山縣にお伺いを立て、藩閥政府と対立する衆議院(政友会)の実力者の伊藤や西園寺公望との折衝を忍耐強く行い、自分のやろうと思っていることを潰されないために、四方八方、いや十六方に気を配る。
外交・安全保障についても、そもそもロシアと何が何でも玉砕覚悟でもドンパチやると決めて物事を進めていたわけじゃありません。ロシアに対して協定案を提示しながら、でも戦費獲得のためにイギリスに支援を求めるもイギリスは日本が勝つと思っていないので曖昧な態度であったり、戦争を始める前から「一進一退」の状況。いざ戦争が始まっても、日本側の情勢分析は悲観的で、戦争が長引いたらまず必敗。そこを、東郷平八郎の神懸かり的な采配で日本海海戦を勝ち、間髪入れずに水面下でアメリカに日露講和の仲介を依頼。ポーツマス会議はその2ヶ月半後に始まります。ところが、日本政府は「賠償金と領土放棄による講和か、戦争継続か」の二択を迫られることになり、前者を選ぶことを決断するわけです。
しかし、日露講和条約の内容が報道されると、「桂は国賊だ!」と国内で反対運動が起こり、「日比谷焼き打ち事件」が勃発します。当時はテレビもラジオも無いし、新聞ぐらいしか無いですから、「マスコミ」が煽って、それに乗せられた国民も激怒したんでしょうね。120年近く前の話ですけど、いまは怪しげなネットニュース・SNSですぐに発火・炎上しますから、「昔の話」に思えません。
そこからもいろいろ話は続きますが、やはり日露戦争前後が面白いです。いまの自民党にここまで各方面に粘り強く調整ができる政治家っているんですかねぇ。そもそも今日、政治家にそういう資質・能力を評価するような「文化」じゃないというのは困ったものです。
では、また明日!
Jun