さてさて、『レンズ越しの羽生結弦』のレビュー、少しずつやっていきます。「これから読むんだけど?」という方、以下の内容はネタバレを含みますので、くれぐれもご注意ください。
私自身は、まず巻頭のカラー写真(計16ページ)と巻末の撮りおろしカラー写真(計16ページ)をチェックしてから、本文を読み始めました。巻頭の写真については、当初はなぜこれらが選ばれているのかよく分からないという感じだったんですけど、本文中で詳しく解説されている写真のいくつかが、このカラー写真なんですよね。その辺りの説明が一切無い所が、ある意味でこの本の「無駄をそぎ落とす」というスタイルの表れかもしれません。
ちなみに、巻末にQRコードが記載されていて、「特典映像」に飛ぶことができるんですが、「特別企画」(340頁~)を読んでからの方が面白いかなと思います。もっと言うと、この「特別企画」自体もそこまでぜんぶ読んでからの方が「感動は大きい」と思います。羽生さんの小海途良幹カメラマンに対する評価の意味が、それまでの小海途さんの苦労を承知しておくと、伝わってくるものがぜんぜん違ってきますので。
さて、「序章」です。ここでは何と言っても、
「僕には、カメラマンとしての才能なんて、ありません」(27頁)
この衝撃の発言で幕を開けると言ってもいいでしょう。力士とか柔道選手とか藤井聡太さんの言うような謙遜とは違いますよ。本書を読み進めていくと納得できるんですが、従来のスポーツ報道に携わる(特に組織に属する)カメラマンとして評価される基準は、つまり彼の言う「カメラマンとしての才能」とは、ペン記者や編集部の上司が求める「定型写真」を首尾よく漏れなく撮りきれることなんだと思われます。
そして、本書は、小海途カメラマンによる「定型写真」への抵抗の歴史、いやもっと言うと、彼が高校生・大学生の頃から歩んできた人生が「定型」に対する反抗そのもので、でも、それこそが、彼が「神カメラマン」として才能を爆発させる原動力であったことは間違いありません。
ところで「定型写真」とは?と言うと、フィギュアスケートで言うなら、「ジャンプやスピンの体勢など、一目瞭然でどの競技かが読者にわかる。そのためには、スケート靴を含めた被写体の全身をカメラに収めることが『定型』の条件だった」(23頁)とあります。
羽生さんがソチ五輪で金メダルを獲って以降、毎月ものすごい数の「フィギュア雑誌」が発売されていましたが、当時は、老舗のフィギュア専門誌であろうと、新規参入組の写真中心系雑誌であろうと、言っちゃアレですが、「定型写真の寄せ集め」だったよな・・・と思います。それでも我々は喜んで買い集めて、それを面白くなく思った当時の某界隈による「一人のスターに頼ってはならない」という大号令のもと、その出版状況に横やりが入りました。コロナ前にはかなりの雑誌が「撤退」していった状況はついこの間のことのようです。
とまぁ、脱線してしまいましたが、「定型への抗い」こそが本書の核心であり、「神」を読み解くキーワードと言っていいでしょう。この後、第1章と第2章は、小海途さんの少年時代から、平昌五輪の担当カメラマンを命じられる2017年1月までを回想する内容になっています。こう言っちゃ失礼ですが、順風満帆のエリート街道とは対極に位置する「裏街道人生」に、読んでいて胸が苦しくなる場面も出てきます。でも、だからこそ今の彼があるという「必要不可欠」な時期ですね。特に心に残ったエピソードをピックアップできたらと思っています。
では、また明日!
Jun