「フィギュアスケートマガジン 2022-2023 Vol.1」(2)

「フィギュアスケートマガジン 2022-2023 Vol.1」(2)

FaOI幕張最終日のライブビューイングの感想は、明日しっかりやりたいと思います。今日はマガジンの記事で印象的だった部分をピックアップしてみます。

(1)近所のお兄ちゃん(33頁)

「そして、フィナーレ(*SOI横浜初日)でファンの人たちに見せたこの表情。フィギュアスケート界における圧倒的な存在感を持ちながら、『近所のお兄ちゃん』的な笑顔だ。ファンにはたまらなかっただろう。私は『一安心』した。以前と少しも変わらない羽生が、ここにいたからだ」

写真・文は、福地和男さん。マガジンでは初登場のカメラマンさんですが、ググってみると高校サッカーの記事がヒットしますね。「近所のお兄ちゃん」という表現、今までありそうで無かった記述で、思わず納得しました。FaOIと違ってSOIだと他のスケーターの大半が後輩なのでそういう表現になるわけですが、歳が上か下かという点だけでなくて、羽生さんがショーのフィナーレやジャンプ合戦でニコニコ・ワチャワチャする様子って、学校とか部活とかでじゃれあってる男子そのものなんです。私自身の遠い昔の記憶も蘇る感じがしました。

(2)昔からプロだった(82頁)

「プロローグでの姿を見て、羽生選手は昔からプロだったんだと気が付きました。それまで『アマチュア』の枠組みの中にいただけで、やっていたことはプロフェッショナルだった。人を魅了することもそうだし、パフォーマンス、姿勢も含めて、真のプロフェッショナルだったんです。だからある意味、ちっとも変っていないな、羽生結弦は羽生結弦だったな、と思いました。これまでは『アマチュア』という活動の制限があったけれども、それを取っ払ったことで、こんな見せ方もできるんだな、と。それを『プロローグ』で目の当たりにしたような気がします」

こちらは座談会での小海途良幹カメラマンの発言。パフォーマンスの面で「アマチュアっぽくない」ってのももちろんなんですが、スケートにストイックに打ち込む姿もそうだし、メディア対応から、発言に気をつける部分も含めて、他の選手とはまるで違う。好成績を残せばそれでいい、という並のアスリートとは背負っているものの大きさが違うんです。そこは親御さんの教育だったり、東北出身ということもあって、覚悟と責任を持って取り組んできたことが、「プロ」としての生き様に影響を与えているのかもしれません。

(3)違う世界に行ってしまった(87頁)

「GIFTは東京ドームに入る前から、高揚感があったように思う。・・・会場に飾られた羽生選手の写真。それはスケートのスターというよりも、なにか別の世界の人、たとえばコンサートのアーティストのように感じられた。東京ドームに入ってからも、今までなかった『距離感』を感じた。記者席のあったエリアは、1Fの奥の方。それまで選手を撮影するのはリンクサイドが当たり前だったから、『ここから見るのか』と正直、面食らった。・・・お世辞抜きで、素晴らしい公演だったと思う。これは何だか言うのが恥ずかしいけれど、『スケート界から羽生選手が違う世界に行ってしまった』という気がした。それが、先ほど言った『距離感』の正体なのかな…」

こちらは毛受亮介カメラマンのコラムから。「プロローグ」も凄いショーではあったけど、Continuesのような「手作り感」がありましたよね。特にマイクを持ってリクエストに応えて、音声さんと相談して、過去プロをサラっと披露する所とか。でも、「GIFT」はすべてが完全にコントロールされたショーで、箱の大きさや舞台装置のド派手さも相俟って、完全にプロ集団による一大エンタテインメントでした。

今後はどういう形態のショーを行うのか。おそらく「ノッテ」の方は毎年恒例になるような気がするんですが、「プロローグ」や「GIFT」は一回きりというコンセプトだろうし、別のコンセプトのワンマンショーの企画は動いているんだろうと想像します。おそらく羽生さんの気持ちの中では、「動けているうちにやりたい」というのはあるはずで、あと5年・・・頑張って10年は走り続けるような気がしています。くれぐれも身体に気をつけて、やりたいことを実現してもらいたいです。

では、また明日!

Jun


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