今回のメイキング動画では、2つの話題が中心になっていました。
今は服がどう見えたいか。羽生結弦っていう存在にこの服を合わせたときに、どういうふうな構図になるのか、どういうふうな見え方になるのか、蜷川さんの凝ったセットに対してどういう感情で、どういう意味をもたせてここにいるべきなのか考えるようにしています。
このような発言は、今年8月の「AERA」でも見られましたが、あの頃から今回の写真集の企画は動いていたのでしょう。この発言の大元はやはり撮影で着たGUCCIでしょうね。世の中にはいろんな服があって、特にハイブランドの前衛的なデザインを身にまとうと、それをどう活かすか?という「欲」が出てくるのかもしれません。カメラマンのリクエストに応じて表情やポージングを作るだけでなく、さらにプラスアルファの感情が生まれるのでしょう。表現者として貴重な体験になっているはずです。
自由ってなんだろうと考える機会があって、ルールがあってそこから解放された瞬間がたぶん自由なんだろうなって思っているんです。プロに転向するって決めたときからはすごく自由だったと思うんですけど、今はルールというものがなくなってしまったからこそ、自由というものをあまり感じられなくはなっています。ただ、自由は感じられないんだけど、手をつける方向がものすごく色々広がっていったので、目指す選手像とかアーティスト像みたいなものは、ものすごく大きく、より具体的に強くなったと思います。
これはとても分かりやすいです。「自由は感じられない」といのは決してネガティブな感情ではないはずです。プロ転向を決めた瞬間というのは、ある程度「白紙」の状態だったから、「すごく自由」だったと。ところが、その後、様々なアイスショーやテレビ出演、雑誌の撮影、あるいはSNSやYouTubeの運営等の仕事が埋まっていくことで、単に時間的な自由が無くなっただけでなく、「プロスケーター羽生結弦に何が求められているのか?」が分かってきて、それに応えないといけない。その意味での創造性における「自由」も失われていった、という意味に私は解釈しました。
ただ、メイキング動画で取り上げられた発言はかなり編集されているはずなので、詳細は本誌のインタビューを楽しみに待つとしましょう。
では、また明日!
Jun