動画のメッセージでよかったです!最初の一発目としてはやっぱりこの人がふさわしいですよね。もちろん、このメッセージ自体はトゥルソワ移籍の発表前に撮られたものだと思います。個人的に、まだコーチ業に専念するには早いと思っているので、またその雄姿を日本でも見せてもらいたいです。本人は来る気満々のようで、嬉しい限りです。
2005年12月に独立して、仙台を拠点に引き続きホットペッパーの仕事を中心にこなすものの、「デジタル化に移行することで、報酬が大幅減額」という点にはビックリでした。なるほど、簡単に撮れるから、誰にでもできる仕事だと、先方は軽く考えたのでしょうね。
しかし、2006年9月に荒川さんの「凱旋アイスショー」で撮影の機会を得ることとなり(そもそも「撮影の機会」とはいっても、ショーの撮影ではなく、荒川さんの対談企画の撮影のために依頼された)、フィギュアスケートとの関わりができます。
とはいえ、メインの仕事はあくまでも仙台での広告・ファッション関係の撮影の案件で、その後、2007年7月、フィギュアスケート日本代表のイタリア合宿に同行することが転機となります。帰国後、フィギュア用に揃えた機材の出費が140万円!「あれ?この間の朝日新聞の遠藤カメラマンの話と違うぞ?」と思ったのですが、13年前もの月日が経っていますから、当然カメラも良くなっているはずです。それこそ、パソコンの買い替えとも共通しますよね。
ところで、私が最近PCを買い替えたのも、動画編集のできるマシンにしたいなというのが理由だったんですが、いろいろと勉強していると、そもそもカメラも買わなきゃダメじゃん・・・という話になっています。5万円でとりあえず揃うと知って安心しましたが。こんなかっこいい動画作れるようになりたいわ!
話が脱線しました。能登さんは、2007年11月、仙台で開催された全日本ジュニアの表彰式の撮影の際、羽生さんと「初めて言葉を交わした」そうです。
ただ当時は今ほどフィギュア人気もなく、撮った写真が掲載されてもギャラはわずかで、交通費も出ませんでした。07年の秋から本格的にフィギュアを撮りはじめ、広告撮影で稼いだお金で、フィギュア撮影で出る赤字を補填していく生活がはじまっていきます。
「Sing Sing Sing」と「火の鳥」の頃からでしたか・・・。『YUZURU』(1巻)の2~3頁も併せて読んでみてください。この表彰式の前に、羽生さんの横にいたお父さんの姿を見て「恩師の息子さんなんだ!」と初めて気づいたそうです。
思わぬところで、人と人との人生が交差するものですね。この続きの記事もすでにアップされているのですが、とても面白い内容なので明日に回します。
では、また明日!
Jun
コメント
本当に、人と人の出会いの不思議さを感じますね。能登さんにとって大きな転機だっただけでなく、羽生選手にとっても、戦いの場でホッとする存在に出会えることは嬉しいのでは、と思います。
火の鳥、久々に見ましたが、やはり上手いですね。奈々美先生の選曲のセンスも感じます。能登さんにしろ、奈々美先生にしろ、羽生選手は人に恵まれていますね。
ところで、ゆくゆくはjunさん作のMADが見られるのでしょうか。junさんは音楽に造詣が深いので、楽しみです。
ととちゃん さま
火の鳥、いいですよね!技術面で言うと、ジャンプの上手い子は、日本の男子でもけっこう出てきていると思うんですが、やっぱりスピンが速くて上手いですよ。女子みたいなスピンです。
映像編集は遊びの延長で、まだソフトの使い方を覚えている段階なので、ボチボチがんばります。