引き続き、「Ice Jewels Vol.19」のレビューです。今回は「UNDERTALE」の開発者のトビー・フォックスさんのインタから。この「UNDERTALE」というゲームには、「2つの攻略ルート(敵を全部倒してクリアを目指す殺戮ルートと、敵を傷つけずにストーリーを進める平和主義ルート)」があることは皆さんもご存じかと思います。トビーさんは佐賀公演に招待されているんですけど、羽生さん個人についてはもちろん、フィギュアスケートについても詳しくないとおっしゃっていながら、その考察が鋭くてビックリしました。
今回の「RE_PRAY」は、第1部が「RE_PLAY」、第2部が「RE_PRAY」というコンセプトであるとされていますが、前半では「ゲームは何度もリセット・コンティニューしてリプレイが可能だけども、人生はゲームのようにはいかない。じゃあ、どうする?」という問題提起がなされていると私は受け止めていました。そして、「L」から「R」へと、第2部の「RE_PRAY」に進むわけですけど、実は私自身、後半の「RE_PRAY」における祈りの対象って何だろう?誰が何に対して祈っているの?羽生さんが何に祈っているの?と、いまいち釈然としない部分もあったんです。おそらく、MIKIKO先生もそのものズバリは語っていないはずで、「各々の解釈に任せる」みたいな論調だったと記憶しています。
その点で言うと、トビーさんの「解釈」は非常に明解で、なるほど!と納得する部分がありました。
「そのあと(第1部のあと)始まるのが、2つめのルート。一つひとつの演技を柵に閉じ込められた状態で始める羽生さんは、自分の生き方が自分を狭い場所に閉じ込めていたことに気づき、大会(競技会)のサイクルから抜け出して、ゲームをプレイしつづけることを拒否します。そうすることで、何もない空間にたどり着く。だけどそれでも、まだ自由じゃない。まだ何かにコントロールされて、閉じ込められている。でも、それが何かはわかりません。だから彼は祈ります。自由を手にするために、『神様』に祈るんです。でも、この『神様』って、誰なんでしょうか」
「僕が思うに、『神様』というのは、羽生さんの観客ではないでしょうか。彼はただのキャラクターで、観客を楽しませるために動く操り人形でしかない。ふつうの生活を送ることもできず、常に『羽生結弦』というキャラクターでいることを強いられる。やがて、自分はゲームのキャラクターに過ぎないのではないかと疑問を抱くようになった羽生さんは、台の上に立ち、観客の前で、文字通り祈ります。そしてついに、これまで見たことのなかった場所を見つける。どこだかわからない、不思議な、美しい場所です。『神様』、つまり観客は、これまで羽生さんを『キャラクター』として見てきました。けれどもその『神様』の恵みのおかげで、羽生さんは新たな自由を見つけました。それは、新しいことに挑戦して、試してみる自由です(今回の公演のように)。そして羽生さんは観客にも、自身の自由と日々の暮らしを慈しむよう、呼びかけるのです」
この解釈に対して、羽生さんもMIKIKO先生も、きっとYESともNOとも言えないでしょう。日本のライターもこういう解釈を発することはできないでしょう。なぜなら、一部だけを切り取れば「観客批判」に受け取られかねませんから。もちろん、我々個々人は「キャラクターを強いているつもりなんてない!」とみんな思うはずです。私だってそうです。でも、多くのファンの存在が、「羽生結弦でありつづけなければ」という「事実」として彼に圧し掛かっていた面もあったはずです。でも・・・これだけのファンがいるから、「プロローグ」も「GIFT」も「notte stellata」も「RE_PRAY」も完売で、だから、彼の元には最高のスタッフが集って、新しい試みが実現しているわけですからね。
「お客さんに感謝=神への祈り」という所に彼の解釈は着地しているわけですが、じゃあ、なんで「RE」がつくの?という所も面白くて、羽生さんは競技者時代からファンに限らず、誰に対してもいつだって感謝の気持ちを表す人だったけど、人間なんだからいつもいつもそんな聖人でいられるはずがない。嫌なこともいっぱい見聞きしてきたことでしょう。でも、いま彼は「祈る」という所に「改めて回帰」した。それが彼の偽らざる本心なんだと、私もそんな「解釈」にたどり着いた所です。
もちろん、トビーさんは「僕個人の勝手な解釈」とおっしゃているし、私の解釈も素人の私見に過ぎません。でも、様々な考察・解釈ができる所に、このショーのコンセプトの深みを改めて感じます。
メタルジョギング・チャレンジは197日目。DIR EN GREYの『UROBOROS』(2008年11月)です。日本のビジュアル系バンドとして有名ですが、実は彼らはヨーロッパで当たり前のようにツアーを敢行する存在としても知られています。今回初めて彼らの楽曲を聴いたんですが、いやぁ本作は面白いアルバムですね。
イントロの「SA BIR」の後、つづく「VINUSHKA」は10分近くある長尺曲。いかにもイメージ通りの「V系ボーカル」にTOOLの影響をモロに受けたと思しき曲調を組み合わせて、この感じでアルバム一枚続くのかなぁ・・・なんて思っていると、4:20辺りからいきなりスラッシュメタルのような爆走チューンに切り替わり、ボーカルの京さんの歌唱が、V系スタイルからデス声に変わり、さらには北欧ブラックメタルのような泣きじゃくり系シャウトにもなり、ずいぶんと詰め込むねぇ!とビックリでした。
この曲に限らず、欧米で流行っているメタルのトレンドをとことん盛り込んでいて、ややもすると消化不良気味になりそうな所を、京さんの個性的な歌唱術でDIR EN GREYの音楽として成立している感がします。もし、一般的な欧米人のヴォーカリストを起用していたら、BGMとして聞き流しちゃうかもしれません。
ただ、前述の「VINUSHKA」のような曲ばかりだと聴いてる方も疲弊しそうなところで、「我、闇とて…」のような直球のV系スタイルの楽曲の存在は、特にV系に思い入れの無い私ですら、どこかホッとする感覚がありました。やっぱ、V系って日本文化として定着してるんだと思いますね。
では、また明日!
Jun