糸井重里さんとの対談<第8回>「100年後に見てくれた人が」感想

糸井重里さんとの対談<第8回>「100年後に見てくれた人が」感想

対談の第8回は「こちら」。ここまでの7回分の感想はこちらで<第1回><第2回><第3回><第4回><第5回><第6回><第7回>。

「100年」という数字でつい連想したのは、先日の大相撲春場所で尊富士が達成した「新入幕優勝」という快挙を、110年前に成し遂げたのが「両國勇治郎」という力士だったという逸話です。映像は残っていないのですが、モノクロの写真は残っていて、端正で整った面構えをしています。令和の時代のいま、このルックスの力士が偉業を達成したら、マスコミが追いかけているかもしれません。

羽生「時代に左右されないようなものは、たぶん、自分が表現したいものをどんどん突き詰めていった芯の部分に、絶対あるとぼくは思っているので、そこがブレない限りは大丈夫なのかなと思ってます。逆に、情報の波みたいなものに飲まれることに怯えていると、きっと、その芯の部分が伝えられないんだろうなっていう」

糸井「たしかに、怖がったりためらったりしていると、もともとよかったものも、いつの間にか腐っていきますよね

お二人の間で意見の一致を見たのは、「これをやるとウケるかも?」という安易な理由で時流に日和るとロクなものはできない、ということなんだと思います。「情報の波」にどっぷり浸かってしまうと、せっかく自分の強みだったもの、自分の好きだったものも、「これはもう古くてダサいかも?」という理由で見失ってしまいがちで、それは良くないことなんだと。でもまぁ、人の好みなんてコロコロ変わりますし、自分自身の好みもやはり変わりますから、古い・新しいということを抜きして、「できるだけ形にして残す」というのはとても大事なことだと思います。

羽生さんや糸井さんのように、発表したものが多くの人たちに評価され、それによって大きなお金が動くような方々だけではなく、私のような一般人の完全に個人の趣味のようなものでも、「できるだけ何かしら形に残すこと」によって、未来の自分が「よりよく生きる」上での材料になりうると、最近考えるようになっています。いま誰かにウケるためじゃなく、逆にいまやってもどうせ誰にも評価されないからやらないでもなく、10年後、20年後の自分のために。

話を両國勇治郎に戻すと、いま日本の最高齢の方は115歳だそうです。女性の方なので、両國のことはご存じないかもしれません。私も、あと50年は頑張りたいな・・・とは思っていますが。

では、また明日!

Jun


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