糸井重里さんとの対談<第11回>「ふつうが憧れ」感想

糸井重里さんとの対談<第11回>「ふつうが憧れ」感想

対談の第11回は「こちら」。ここまでの10回分の感想はこちらで<第1回><第2回><第3回><第4回><第5回><第6回><第7回><第8回><第9回><第10回>。

たとえばふとマラソンとか駅伝を見て、その選手をとくに応援してたわけでもないのに、がんばったなって思って、涙が流れてきたりとか。野球でも、サッカーでも、なんでも、スポーツってその力が絶対あると思うんです。

でもそれって、表現力かって言われたら、表現力じゃないなって思うんです。じゃあなにかっていうと、「結果」だと思うんですよ。スポーツに「結果」っていうものがあるからこそ、生まれる感動なんじゃないかなって。

一方でぼくはいま「結果」という、感動できる要素のない世界にいるので、だからこそ、本当に自分の表現だけで勝負しきらなきゃいけないと思うんです。

このように言語化されると納得というか、でも、その発想は無かったです。例えば、私が最近注目しているアスリートで言えば、大相撲の尊富士、MLBのドジャースのムーキー・ベッツ選手ですが、尊富士は110年ぶりの「新入幕優勝」という大記録の達成があり、ベッツ選手で言うと、175cmの小柄な体型で開幕からバカスカHRを打ちまくってて、本来外野手の彼が昨年から守り始めたショートでファインプレー連発という「結果」から、感動を覚えているわけです。

もちろん、数字的な面が「入口」にはなっているんですけど、尊富士は相手の体格関係なく真っ向からぶつかって速攻で勝ちにいくし、ベッツは決して「HRか?三振か?」って選手じゃなくて、選球眼も素晴らしく、四球を選んで大谷に繋いでいる点も見逃せません(てか、このチームって大谷を補強する必要があったの?ってぐらい、みんなすげー打つので、ドジャースの試合は見ていて楽しいですよ)

で、羽生さんに話を戻すと、「表現だけで勝負しなきゃいけない」と本人は語っているけど、糸井さん相手だから多少端折ってない?とは思いました。プロ転向後も、プロローグでの「SEIMEI」だったり、GIFTでの「ロンカプ」だったり、RE_PRAYでの「破滅への使者」だったり、6分間練習からの「ガチ・アスリートモード」のプログラムを盛り込んでいるわけで、あれなんかはまさに、「プロスケーターであっても結果(高難度構成のノーミス)で感動を与えたい」という所を表現していると思うんですよ。

それこそ「ふつうのアイスショー」から飛び出して、「ふつうじゃなくていい」って部分を体現しているんじゃないかと。私見ですけど、いくら「羽生結弦のワンマンショー」とは言っても、ユルい構成だけの2時間だったら、宮城の追加公演に至らなかった気がするんですよ。技術レベルを維持し、五輪を目指していた頃よりも己を厳しく律しているからこそ、いま見ておかなきゃ!ってなるし、大きな感動を与えていると思いますね。

メタルジョギング・チャレンジは183日目。THE MAD CAPSULE MARKET’Sの『Digidogheadlock』(1997年9月)です。久々に日本のバンドの登場です。ジャンル的には「ラウドロック」に分類される3人組。前回のRammsteinと同様に、こちらも初めて聴きました。身近にこのバンドに精通している知り合いがおらず、しかも日本のバンドということで私が軽視していたこともあったんですが、あれから20ウン年経って聴いてみると、イイっすね。

1曲目の「Crash Pow」を一聴して、腰の重いヘヴィサウンドなのにリズムは軽快で、北欧のEntombedのような「デス&ロール(デスメタル&ロックンロール)」的なテイストを感じました。パンクでもないしメタルでもない。テクノロジーも大胆に採り入れていて、新しい。でも、頭の振れるクールな音楽です。Rammsteinより断然好きですね(笑)。

個人的なイチオシは、3曲目の「What!」。この曲は日本語なんですが、畳みかけるような日本語の歌詞とザクザクとソリッドなリズムがガチっとハマっていて、英詞の曲より説得力があります。これだけカッコよく歌えるなら、全曲日本語でも良い気がしますが、この辺りはバンドの方針だったんでしょうね。

2006年をもってバンドは活動休止。個性的なサウンドでありつつ、ただ奇抜なだけじゃなく、曲自体が魅力的。こりゃ、他のアルバムも聴いてみたいと思いますね。

では、また明日!

Jun


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